こんにちは。GANG PARADE/KiSS KiSSのキャ・ノンです。わたしは何気ない一言に傷つけられたり、あるいは誰かを傷つけてしまったり、そんな出来事に対して、時々思い出してうわああ!となるときがあります。誰だってあることだと思いますが、そのときの感情ってすごく大切なものでもある気がするんです。普通だったら、するりと通り過ぎていくことが、トゲみたいにひっかかって、何度も思い出して落ち込んだり、苦しくなったりするのは、他の思い出よりも忘れられないようにできているんじゃないかと思います(普通につらいけど)。いやな思い出であっても、ノスタルジックな気持ちになれるというか。大人になって、今になって考えてみたら、相手の気持ちが少しわかったりして、すべてが大切な資料だなと感じます。
というわけで今日は、そんなことを書き留めていた私小説があるので、それを載せようと思います。
夜ごはん
帰り道、十九時は過ぎていたが空はまだ少し明るかった。汗ばんだ膝の裏、母の背中、ゆるやかに揺れる自転車。週に二日、この時間は特に話すことがなかった。ダンスも決して好きではなかったし、習い事について言及されるのはきらいだった。しかし習い事に行っているのに、その帰り道にそれ以外の話をするのはなかなかむずかしい。穏やかではない時間がはやく過ぎて、はやく家に着けばいいといつも思っていた。
わたしは頑張り方がわからなかった。何を怒られても褒められても、それが何故なのかもよくわからないままだった。
「どうしてもっとできないの?」
その言葉を投げつけられるたびに、不甲斐なさと疑問が一気に襲ってくる。自分でもわからないのに。どうしてみんなみたいにできないんだろう? やっているつもり、それ以上はできなかった。できるのにやらないのではない、本当にできないだけ。もちろん、立ち位置はいつも後ろの方で、出演できる演目も同級生の友達より少なかった。
でもある日、頑張り方は突然わかった。それは意外と簡単だった。言葉にはできないが、体がいきなり教えてくれたような感覚だった。素直に嬉しかった。そして、今までと比べようがないくらい、きらいだったダンスが楽しくなった。
しかしその頃には、元からできていた同級生たちはもっと遠くにいた。思えば、わたしの劣等感は、この頃からずっと一緒に生きてきたのかもしれない。わたしはみんなより劣っている。でも今日は、今日からはみんなと少し近付けた気がする。もう少し頑張ってみたら、みんなと並べるかもしれない。先生も褒めてくれた。やればできるじゃんと言われた。それはちがう、でも嬉しかった。
ふわふわした気持ちを大切に、潰さないように抱きしめて、迎えに来てくれた母の自転車の後ろに乗る。それでも「今日は楽しかったんだ」なんて気恥ずかしくて言えず、いつものようになんとなく口を開いた。
「今日のごはんなーに?」
母は大きなため息を吐いた。背中しか見えないわたしは一瞬で不安でいっぱいになった。この時間、会話に困るとわたしはいつも決まって夕飯の献立を聞いた。それは無言の時間がなんとなく気まずいから、絶対に話せそうなことを適当に選んでいただけだった。しかし、わたしの質問はなかったことになったのか、はたまたどこかに落としてきたのか、母からの返答はなかった。「どうしたの?」なにもわからないわたしはもう一度、少し大きめの声で尋ねた。
「毎回毎回ごはんの話ばっかりしないでよ」
言われた瞬間、息が詰まるのを感じた。喉の奥に黒い塊がつっかえて呼吸ができなくなるような、たった一言だけで海の底に沈められたみたいだった。
ただ今日、生まれてはじめて頑張れて楽しかっただけなのに。すごく嬉しかったのに。褒めてもらいたかったのに。わたしの小さなしあわせたちは、一瞬で大きな泡となり弾けて消えた。言い訳するのも悲しくなるので、少ない蝉の声に耳を傾け意識をそちらに集中させた。コンクリートの地面に、自転車のタイヤがじりじりと擦れるのを見つめる。それでもまだ明るい空に腹が立った。
あの日からなんとなく、献立を聞くのをいまでも躊躇ってしまう。もう何年も前のことで、母はきっとなんにも覚えてない。なにひとつ覚えていなくていい。間が悪かっただけのことだ。何気ない様子で「今日の夜ごはんはなににしようか?」と聞いてくる母に、わたしはいつも笑顔で答える。
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