韓国は日本にいた頃とは比べ物にならないぐらい練習量が凄まじかった

――キャリアについてお伺いします。歌やダンスに興味を持ったのはいつ頃ですか?

真洋 小さい頃から、「世界で一番綺麗な人は安室奈美恵さん」というぐらい安室奈美恵さんが大好きで、その影響で歌って踊ることに興味を持ち始めて。小学3年生のときに、友達がダンス習いに行くということで、「一緒に習いに行こう」と誘われたんですが、私のほうがハマりました。ヒップホップがメインでしたが、ハウス、ロック、ジャズダンスなど、いろいろなジャンルをやって、中学2年生まで続けました。

――歌のほうはいかがでしたか。

真洋 2006年に絢香さんが「Real voice」や「三日月」をリリースしたタイミングでシンガーソングライターに興味を持ち始めて、意識的に歌うようになり、ボイストレーニングにも通っていました。お母さんも歌が上手なんですが、いつも練習に付き合ってくれて、小学生なのにラブソングの「三日月」を歌い込んだ記憶があります。

――その頃には、芸能界に興味があったんですか?

真洋 小学生の頃から芸能界に入りたくて、その気持ちはずっと変わらずでした。安室奈美恵さんやSPEEDさんみたいになりたくて、小学生の頃からいろんなオーディションを受けていました。

――アイドルへの興味はなかったんですか?

真洋 そうですね。かわいいよりも、バリバリ歌って踊るかっこいいグループに憧れていました。だから乃木坂46に入ることになったときは我ながらびっくりしました。

――アイドル活動はどうでしたか。

真洋 正直、活動を始めてすぐに、自分にグループは向いてないかもと思いました。十代の頃ってデリケートなので、気にしなくていいところまで気にしちゃうんですよね。自分はこのグループに合っていないんじゃないか、必要とされていないんじゃないか、みんなの邪魔をしているんじゃないかなど、いろいろ考えました。

――ダンスの発表会などもグループでの出場ですよね?

真洋 そうだったんですが、ダンスは練習と本番だけで、生活まで共にしないじゃないですか。乃木坂はメンバーといる時間が長かったですからね。私は行動が早いので、みんなで移動しているときも、ハッと気づいたら先頭にいるんですよ。パパっと用事を済ませたいタイプだから、みんなのペースに合わせられない。要はせっかちなんでしょうね。同期の永島聖羅と仲良しなんですが、彼女は私よりもせっかちなので、一緒にいると逆に落ち着くんです。

――渡韓を考えたのは乃木坂にいた頃ですか?

真洋 卒業してからです。知り合いのスタッフさんから、「韓国を拠点にした多国籍ガールズグループのプロジェクトを考えている」という連絡が来て、「日本代表の女の子を探している」と。「勝手に会議で真洋の名前を出しちゃったんだけどどうかな?」みたいなところから始まって、私自身、まだまだ歌とダンスをやりたかったし、海外の芸能事情や文化を知っておくと、今後の芸能活動に繋がるんじゃないか、絶対マイナスにはならないなと思って韓国に行こうと決断しました。

――それまでK-POPは聴いていたんですか。

真洋 人並程度には聴いていたんですが、熱烈なファンかと言ったら、そうではなかったです。

――全員国籍の違うメンバー7人が集まった「Z-Girls」で活動を始めますが、レッスンはいかがでしたか。

真洋 日本にいた頃とは比べ物にならないぐらい練習量が凄まじかったですし、ダンスの難易度も高かったです。そのおかげで確実にパフォーマンス力は向上しました。

――言葉の壁はいかがでしたか。

真洋 基本は英語で話すんですが、ほとんど自分の言いたいことは言えなかったです。メンバー全員が違う国の出身なので、それぞれの国の訛りがあって、同じ英語でも聞こえ方が違うんです。ただ言葉が完全に通じなくても、分かり合える瞬間があって、一緒にいてもリラックスできるんですよね。たとえばメンバーが電話で母国の言葉で話しているのを横で聞いていても全く言葉を理解できないんですが、なぜか心地良いんです。信頼関係があるからこそなんでしょうが、言葉に頼らずに分かり合える関係性は大好きです。