小学2年生のときに観た劇団四季の『エルコスの祈り』に衝撃を受けた

――両親に妊娠を告げた澪が、父親と船に乗って気持ちを通わせるシーンが印象的でした。

山﨑 クランクイン前にスタッフの方が何度も熊野に通ううちに、地元の方のご厚意で船を貸していただけることになったそうです。そういう力が合わさって出来たシーンですが、朝日を狙いたいということで日の出前に陸を出て、船上で待機して撮りました。

――入り組んだ路地を、澪が自転車で自由奔放に走り抜けるシーンも映画ならではの躍動感が漲っていました。

山﨑 杵村監督からの指示は「スーッと走ってください」という感じだったのですが、カメラマンの髙本優さんがそれをカメラに収めてくれて。船が通ったのも偶然で、たくさんの奇跡が起きた映画です。

――現場の雰囲気はいかがでしたか。

山﨑 スタッフのみなさんは、ずっと一緒に活動してきているので、お互いのやり方や性格も分かっていて。学生ならではの和気あいあいとした雰囲気があって、演技のしやすい現場でした。私は年も近いので、同じ目線で話し合えて、とことん質問ができたのもありがたかったです。

――特に大変だったシーンは?

山﨑 初日に撮影した澪がお風呂で葛藤するシーンです。なかなかOKが出なくて、一度時間を置くことになったんです。自分の中で思い描いていたものはあったのですが、そこまで行き切れていなかったというか。時間を置くと、さらに分からなくなって……。でも、その分からないという気持ちが、妊娠して、誰にも言えずに八方塞がりになった澪の気持ちとリンクしたんです。それで再びお風呂のシーンに臨んだらOKが出たので、そういうことだったのかと納得しました。

――2週間の滞在で、より澪の気持ちになれましたか。

山﨑 そうですね。熊野という土地を肌で感じられたということもありますし、毎日、濃く澪と向き合って、悩み続けて、それが蓄積されて。撮影が進むに連れて澪のイメージを体感として落とし込むことができました。

――最終的に澪は自己を肯定して新たな一歩を踏み出します。

山﨑 「自分は自分で幸せにするんだ」という澪の言葉がありますが、周りの助けを借りながら、自分の心の声を聞いて選んだ選択なので、本音に気付けて良かったなと思いました。作品を観て、澪から力強く見守られていたと改めて感じました。

――ここからはキャリアについてお伺いします。学生時代、打ち込んでいたことはありますか。

山﨑 中学1年生から高校3年生までダンスに打ち込んでいました。

――ダンスを始めようと思ったきっかけは?

山﨑 小学2年生のときに劇団四季の『エルコスの祈り』を最前列で観たんです。そのときに得体の知れないエネルギーで全身がビリビリして、子どもながらに「こんな世界があるんだ!今日も頑張ろう」みたいな気持ちになったんです。それがきっかけでミュージカルに憧れを抱いて。時間は空いてしまったのですが、ミュージカルを学べる教室を見つけて、いろんなジャンルのダンスを習っていました。

――『エルコスの祈り』以降もミュージカルは観ていたんですか?

山﨑 その後も劇団四季の舞台を観に名古屋や横浜に行ったり、地元が宝塚だったので学校行事で宝塚歌劇団を観に行ったり。宝塚もきらびやかな世界で、男役の方がめちゃくちゃかっこよくて。特に『エリザベート』という演目が大好きで、よくカラオケでも歌っていました(笑)。

――ダンスの大会にも出ていたんですか?

山﨑 何回か出ました。最後に出た大会の演目でロックバージョンの『白鳥の湖』をやったんですが、練習期間中にみんなで意見を出し合って、時にはぶつかることもあって。それで結束力も高まって、本番では舞台上で時の流れがゆっくりになるような、みんなの呼吸も全部聞こえるような感覚があって、陶酔しながら踊りました。全国大会には行けなかったんですが、4位になって。もちろん悔しさもあったんですが、やりきった、ベストを尽くしたという実感がありましたし、本当に頑張ったときは結果じゃないなと清々しい気持ちになりましたね。そのときの経験はお芝居にも活きていると思いますし、今もダンスは続けていて、近所のダンス教室に通っています。