高校生で「絶対に作家になる」夢を叶えるも現実に打ちひしがれて
――幼い頃から読書が好きだったそうですが、原点は何だったのでしょう?
島本理生(以下、島本) 幼少期に両親が離婚して、生活に困るほどの環境で数少ない娯楽が読書だったんです。無料で本が読める図書館に母がよく連れて行ってくれて、自宅でも読み聞かせをしてくれました。そのおかげで幼い頃から字が読めるようになり、自分でも本を読むようになりました。
――過去のインタビューで、6〜7歳の頃に実父が行方不明になったと明かしていました。実父の書いた手紙を、今も持っていらっしゃるそうですね。
島本 母からもらったんです。実父はお酒におぼれるタイプで、酔った拍子に自宅のガラス戸を素手で叩き割ったり、飲んだ翌日に二日酔いでぐったりと寝ていた記憶しか残っていないんですが…。でも、手紙を読むと繊細でやわらかく、ロマンチストな文学青年のような印象なんです。母から「芸術家肌だった」とは聞いていて、年齢を重ねてから読み返したときに、実父と自分の文体が似ていると気付いて驚きました。
――小学校時代には、読むだけではなく物語を作るようにもなったと。
島本 小学3年生ぐらいでしょうか。大人向けの一般文芸も読みはじめたのが、きっかけでした。母の再婚相手だった義父が、大手出版社に勤めていたので自宅にたくさんの本があったんです。正直、義父とは折り合いが悪かったんですけども、好きな本の趣味は合って、義父にもらった吉本ばななさんの『アムリタ』や、寺山修司、開高健、太宰治といった作家の本を熱心に読んでいました。
――中学3年生になると、文芸誌『鳩よ!』の寄稿した掌編小説『ヨル』で年間MVPを受賞。作家としての、第1歩だったのかと思います。
島本 元々、高校生で「絶対に作家になる」という夢があったんです。ただ、本当になれるかは分からないし、自分の書くものはプロとして評価されるレベルなのだろうか、と考えていたときに、短編なら「すぐに書けるし、挑戦してみよう」と思って応募したのが『ヨル』だったんです。年間MVPの受賞は、人生で初めて「作家になれるかもしれない」と手ごたえを得られた経験でした。
――将来は「絶対に作家になる」と思っていた理由は、何だったのでしょうか?
島本 早く自立したかったので。だいぶ早いうちから、大学卒業後に「社会に出る」というイメージがわかなかったんです。集団行動が致命的に苦手だったこともありました。一日でも早く自立してお金を稼いで、家を出たい気持ちも強かったし、年齢にかかわらずお金を稼げて、自分にできる仕事は何かと考えた答えが作家であり「小説家」でした。高校生でと考えていたのは、若いほど注目されると思ったからです。新人作家としてデビューしても、すぐに売れるとは限らない。それならば、若くしてデビューすれば「世の中の興味をより引きつけられるのではないか」と思っていました。
――高校時代、17歳には小説『シルエット』で作家デビュー。夢を叶えました。
島本 デビューはうれしかったです。でも、現実は想像よりも厳しく、思うように売れなかった。初版分は売り切ったのですが、担当編集の方に「反響はそんなにない」と聞いて、次は「売れるものを書かなければ」と切り替えました。