年齢に応じたターニングポイントも「次は親の視点で」価値観の変化によって生まれた作品
――プロ作家としての手ごたえを、初めて感じられた作品は何でしたか?
島本 21歳のときに出版した『ナラタージュ』だと思います。17歳で『シルエット』でデビューが決まった時点で「一生、作家としてやっていく」と思っていたのに、当時のインタビューではよく「将来の夢は何ですか?」と聞かれて、私自身は「なぜ、そんな質問をされるのか」と不思議に感じていました。今ならば、将来を決めつけてしまうには早いという配慮を含めた質問だったと分かります。でも、世の中から認めてもらうために、次は「売れるものを書かなければ」と思って、十九歳で『リトル・バイ・リトル』を発表して芥川賞候補になり、重版もかかった。一方で、受賞は逃したことで、「賞にとらわれず、時間をかけて今の自分を出し切れるものを書こう」と思って、大学時代に執筆したのが『ナラタージュ』だったんです。発表後の反響を受けて「年齢は関係なく小説そのものを評価してもらえた」という実感が湧いて、プロとしての幸せを味わいました。
――現在は41歳で、心の揺れ動きもありながら作家としてのキャリアは20年以上となります。
島本 年齢に応じたターニングポイントは、いくつかありました。『ナラタージュ』は当時、自分にとって最長の書下ろし小説でしたから、書き切った後で、「この先、どうすればいいのか」という壁に突き当たったんです。そこから次は、「恋愛の形をした性と暴力をテーマに小説を書きたい」として、本腰を入れたのが27歳で発表した『アンダスタンド・メイビー』で、5年ほどを費やして1400枚の原稿をまとめました。それが直木賞候補になったことにもびっくりしたし、選考委員の北方謙三さんや伊集院静さんが強く推してくださったと聞いて、うれしかったです。ただ、今でも執筆中の光景を夢で見る『アンダスタンド・メイビー』は私の青春のすべてで、完成とともに「青春時代が終わった」という感情もわいてきたんです。その後、再婚、出産を経て「10代と同じ気持ちで小説は書けない。同世代の大人に向けた作風にシフトしなければ」と考えて、既婚女性の生き方と官能をテーマに書いたのが『Red』でした。『Red』を書いたきっかけとしては、産後間もない頃に読んだネットの影響もあったと思います。
――きっかけにあった、ネットの反応とは?
島本 私の本について、「島本理生の小説が好きだった」と、過去形で書いている読者がいたんです。デビューの年齢が若かったことで、作家としてはまだまだなのに、読者にとっては過去の人になっている。そう気付いて、今の自分を更新しようと強く意識した分岐点が『Red』でした。
――作家のお仕事は、これからも辞められそうにないですか?
島本 死ぬまで続けていきたいですね。じつは、コロナ禍で一時的に書けなくなった時期もあったんです。閉じこもる生活に耐えきれずうつ状態になってしまって、当時は作家を「廃業せざるをえないか」と追い込まれていました。でも、どうにか気持ちを取り戻して、短編、中編と試すうちにようやく勘が戻ってきました。新刊『天使は見えないから、描かない』以降も出版の予定を控えていますが、作家の仕事は、ゴールだと思っても「そこじゃない」という連続なんです。先が見えなくて苦しいときがあっても、悩んだ時間が身になって新しいものを生み出せる。物語は空想でありながら現実とも連動していて、自分や周囲の感情や深層心理を考察しながら、人生を小説に凝縮していく作業はやっぱり面白いです。