シンガーソングライターかわにしなつき誕生のきっかけはコロナ禍の高3の夏
――STREAM初登場となりますので、今回は音楽ルーツやデビューに至る経緯などから深掘りさせてください。早速ですが、小さい頃はどんなお子さんでしたか?
かわにしなつき(以下、かわにし) 山と川があるような奈良県の田舎に住んでいたので、毎日外で遊んでいるようなわんぱくな幼少期でした。
――物怖じせず、お遊戯会などで人前に出ることも好きなタイプでしたか?
かわにし 小学校1年生の頃からピアノを習っていて、毎年、地元の公民館のホールで発表会があったんですけど、ドレスを着て舞台に立つことを楽しみにしているような子どもでした。ピアノは中学生まで習っていたので、9年ぐらいは続けていたと思います。
――音楽的な基礎は習い事のピアノで培われていたのですね。ちなみに、当時からJ-POPなどの音楽も聴いていたのですか?
かわにし 両親が音楽好きだったので、レンタルショップにCDを借りに行ったり、『ミュージックステーション』や『FNS歌謡祭』など音楽番組を見たり、祖母の家に遊びに行った時に、祖母が推していたK-POPアーティストの曲を一緒に聴いたりしていました。食事中はテレビを点けない家庭だったので、特に金曜日はご飯を食べ終わってから、ドラえもんからMステの流れを楽しみに見るような子どもでした(笑)。
――その頃の将来の夢は何だったのですか?
かわにし 幼稚園の頃はお母さんになりたいと言っていました。ピアノを習い始めてからはピアノの先生になって、歌手になりたいと思うようになったのは中学生の頃からです。
――そう思うきっかけが何かあったのですか?
かわにし 音楽の授業や合唱コンクールなど、段々人前で歌うことが恥ずかしくなってくる時期で、周りの子達はボソボソと小声で歌うような感じだったんですけど、私は「なんで歌わへんの?歌うのめっちゃ楽しくない?」と思っていたので(笑)、もしかしたら人よりも歌うことが好きなのかもしれないと感じるようになって…。それで、高校生からレッスンに通い始めるようになりました。
――レッスンというのは具体的には?
かわにし ボイトレやダンス&ボーカルのレッスンです。大阪のエイベックス・アーティストアカデミーに通って、みんなで1曲完成させていくというグループレッスンを受けていました。そこでは、3か月に1回くらい発表会があって、パート割りをして、ハモって、ダンスもして…ということがとても楽しくて、人前で歌っていきたいなと思ったんですけど、とにかく歌うことが大好き過ぎて、ある時から歌うパート少なくない?と思うようになったんです(笑)。それで、1人だったら全部歌えるやん!と思いまして…。そう強く思うようになったきっかけが、高校3年生のコロナ禍でした。レッスンが無くなって、学校にも行けなくなって、1人で家にいる時間が長くなったので、そこから1人でハモを録ったりするようになりました。今思えば、高3の頃のコロナ禍があったから、ソロ歌手として活動していこうと思えたような気がしています。
――そのタイミングで、自分自身で曲を作るようにもなったのですか?
かわにし ちょうど配信が盛んになっていった時期だったんですよね。カラオケ音源が使える配信アプリがあったので、それで毎日配信するようになりました。かわにしなつきとして初めて表現したんですけど、顔も見えない相手から拍手のコメントやこういう曲も聴きたいというリクエストが届いたりして、人前で歌うことや人に歌を聴いてもらうことは本当に楽しいなと感じたのを覚えています。それから、本格的に活動していくためには、やっぱりオリジナル曲が必要だなと思って、高3の夏から曲作りを始めました。最初はどうやって作ったらいいんだろう?と思っていたんですけど、まずは今思っていることを歌詞にしようと思って書き始めたのが「キミの物語」です。その曲を聴いた友達が「なつきが頑張っているから私も頑張ろうと思えた」と言ってくれて…。私は芸大を選んだので、早めに大学が決まっていたんですよね。それで、残りの高校生活を音楽活動に充てていたので、受験勉強を頑張っている友達にそう言ってもらえて、初めて作った曲でもそんな風に思ってもらえるんだったら、友達だけじゃなくて、もっとたくさんの人に聴いてほしいと考えるようになり、音楽活動により力が入っていきました。
――高3の夏に、曲作りのスタイルが固まっていったのですね?
かわにし もともと国語の授業や本を読むことが好きで、物語や作文を書くことも得意だったので、上京するまではずっと“詞先”でやっていました。高3の冬に3曲入りの自主制作のCDをリリースして、それを担任の先生に渡したら、「すごいじゃん!CD出したの?」みたいな感じになって、授業中にみんなで聴こうという話になってしまって…(笑)。高校では3年間、文化祭でバンドをやっていたんですけど、「歌を続けていくんや」、「頑張って」と応援してくれるクラスメイトが多かったので、その時はとても嬉しかったです。