『なんで私が神説教』は勝負になる作品だと思っていた

――ずっと学校よりも仕事が中心の生活でしたか?

吉田 中学の途中まではそうだったんですが、中学後半から高校生にかけて徐々にお仕事が減っていったんですよね。オーディション自体の数も少なくなりましたし、決まる確率も低くなっていきました。

――なぜオーディションの数が少なくなったのでしょうか。

吉田 僕の所属していたところが、もともとモデル事務所で、僕は役者部門を設立したときの一期生だったんです。役者部門は、子役に関しては強かったんですけど、大人になるにつれてどんどん仕事が減っていきました。でも今振り返ると、事務所のせいではなく、僕の仕事に対する姿勢があまりよくなかったのかなと思います。受け身になっていたというか、僕が主体的に動くことがなかったので、マネージャーさんに甘えて頼りきりになってしまったんです。

――なかなか学生で主体的に動くのは難しいですよね。

吉田 ただ高校卒業のタイミングで、一からお芝居を見直す必要があるなと感じました。ちょうどコロナ禍もピークの時期で、リセットするには良いタイミングだと思って、10年以上お世話になった事務所を退所させていただいて、そこからフリーで活動していた時期が3年ほどあったんです。

――フリー時代はどのような活動をされていましたか?

吉田 子役時代は経験していなかった舞台を主な活動の場にさせていただきました。と言っても出演したのは片手に収まるぐらいの本数です。それまでのつながりでいただいた舞台で、そんなに規模も大きくありませんでした。特に行くあてもないまま飛び出したので、今思うと無謀だったと思いますね。ただ、その時期にお世話になっている俳優の先輩から、仕事の取り方みたいなものを教わって、主体性を持って自分から行動することが身についたような気がします。

――現在の事務所に所属されてからの変化を教えてください

吉田 今の事務所に所属して2年以上が経ちますが、より自分を見つめ直す時間が増えました。環境もガラッと変わりましたし、仕事で関わる方の数も増えました。大きかったのは、あるときに仕事で携わる方々に自分をPRする時間があったんです。本来は「自分は今後こういうことをしていきたいです」とアピールしなきゃいけない場だったんですが、自分でもびっくりするぐらい何も言葉が出てこなくて……。いかに自分自身のことを見つめられていなかったのかを痛感させられました。そのときに、事務所の社長にこっぴどくお叱りをいただいて、そこがターニングポイントになりました。僕自身が役者としてどうしていきたいのか、どういう作品に出たいのかを考える機会をくださって、今の事務所に所属してから、最初の映画作品となった私の卒業プロジェクト第4期『18歳、つむぎます。』では役作りの方法を一から学ばせていただきました。

――10年以上のキャリアがあっても、初めて学ぶことが多かったということでしょうか。

吉田 そうですね。子役時代やフリーの頃には経験できなかった、役者として作品に臨むまでの準備の仕方、作品に携わるスタッフさんの動きやカメラワークなどを学ぶことのできる現場だったんです。そこでスキル的なところを一から学べたような気がします。

――ご自身で変化は実感されていますか?

吉田 自分ではよく分からないですが、周りの方からは「顔つきが変わったね」と評価していただくことが増えました。ちょうどドラマ『なんで私が神説教』(日本テレビ)の前後から言われだしたような気がします。とはいえ、すぐに変われたかと言われると手こずりましたし、芝居に関しても、自分の課題は明確だったんですけど、すぐには直せなかったですね。

――『なんで私が神説教』で演じた宮沢圭太は母子家庭で、家計を支えるためにママ活を行い、それが学校にバレて退学処分となる役でした。

吉田 僕にとって、勝負になる作品だと思っていたので、撮影に臨む前からメラメラと気合いが入っていて、クラスメイトを演じる人たちも一緒に作品を作り上げていく仲間として、盗めるところは盗んでいこうと思っていました。主演の広瀬アリスさんとサシでバチバチにやり合うという贅沢な時間もある役で、第一線で活躍されている方のお芝居を目の当たりにできて、一つ意識が変われたと思います。

――視聴者の反響はいかがでしたか?

吉田 ありがたいことに、たくさんの反響をいただけました。3話でいなくなる役だったので、「戻ってこないの?」という声も多くて。それが結果として最終話でカムバックすることになったんです。最初から決まっていなくて、視聴者の皆様のお声あってのことだったので、めちゃくちゃうれしかったですね。