自信や芯みたいなものを作り上げることのできた1年間
――1年間、同じ役をやるのは貴重な経験だったかと思います。
日野 絆斗が染みついてというか、脚本をいただいたら、すぐに絆斗の思考回路や、絆斗ならではの立ち居振る舞いが自然と出てくるようになりました。ただ、違う作品に入ると、リセットして、まだゼロから始めなければいけません。役作りの時間が1年だろうが1日だろうが、カメラの前に立つと、その役として生きるのが俳優だと思うんです。まだまだ経験値では敵わないところがあったとしても、自分にしかできないものは何かという、一つの役を背負うことによって自分自身を見つめ直す時間の多い1年でした。俳優として、人間として、自信や芯みたいなものを作り上げることのできた期間だったと思います。

――作品の反響を直に感じることも多かったのではないでしょうか。
日野 おかげさまで9月に出した1st写真集『hiSTORY1』が売れて、増刷をしたみたいで(笑)。本当にありがたいことですが、今後も『仮面ライダーガヴ』で僕を知ってくださった方、それよりも前から僕を知ってくださった方の期待を背負いながら、これから出会う役や作品に『仮面ライダーガヴ』の経験を活かして、皆さんの想像を超えるようなデカい男になりたいです。
――ここからはキャリアについてお伺いします。この世界に入る前から、俳優志望だったんですか。
日野 正直、テレビの世界は観るものだと思っていたので、自分が芸能界に入ることすら考えていませんでした。ただ『仮面ライダーガヴ』の主題歌「Got Boost?」を歌ってくださったFANTASTICS from EXILE TRIBEさんが所属するLDHさんのアーティストをテレビで観た時に、僕もこんなにイケてて、かっこいい人たちになりたいと思いましたが、具体的に行動を起こすわけではなく、ずっとサッカーと勉強に打ち込んでいました。
――どういうきっかけで、この世界に入ったのでしょうか。
日野 おじいちゃん、おばあちゃんの家が東京にあったので、よく東京に遊びに来ていたんですが、原宿とかを歩いていた時にスカウトされたことがあって。でも母に「ついて行っちゃダメだよ」と言われていたので、もらった名刺は親に渡していました。その話を聞きつけた叔母が、「友ちゃんなら絶対に芸能界で行けるよ」と思ったらしくて、いろんな事務所を調べたらしいんです。その時に、ワタナベエンターテインメントが手掛ける、東海地方を拠点に活動する「TOKAIスクールボーイズ」のオーディションを見つけて。ここだったら上京せずに、スポーツと勉強と両立しながら芸能活動ができるんじゃないかと僕の親を説得して、応募してくれたんです。

――日野さん自身が応募したわけじゃなかったんですね。
日野 そうなんです。まさか親も合格すると思っていなかったらしくて承諾したら、受かっちゃったみたいな。巡り合わせで始まったんですよね。それで同じオーディションに合格した加藤大悟とボーイズグループ「Hi☆Five」を結成するんです。歌とダンスの経験もない、日焼けで真っ黒なサッカー少年が急にステージに立たされたみたいな状態だったので、目の前のことに必死に食らいつく毎日でした。
――お芝居を始めたのは、どういう流れだったんですか。
日野 コロナ禍になって、グループ活動で人を集めてライブをするのが難しくなった時に、自分がやりたいことって何だろうと考えたんです。もともと好奇心旺盛だったので、いろいろなことにチャレンジしていく中で出会ったうちの一つが舞台でした。それをきっかけに、どんどんお芝居にのめり込んでいきました。
