今でも忘れられないアメフラっシとしての初パフォーマンス。そして活動の転機となった「メタモルフォーズ」
ーー2017年に入ると、EX THEATER ROPPONGIでのワンマンライブ「3B junior 春の全力レビュー 2017 遥かなるアポロンの彼方へ」や、ももいろクローバーZ「ももクロ夏のバカ騒ぎ2017」の外周ステージで開催された「しがこうげんアイドルフェスティバル(SIF)」の出場をかけた予選で、ユニット同士での勝負もありました。そして12月にはちみつロケットが武者修行へ。2017年はいかがでしたか?
市川 「3B junior 春の全力レビュー 2017 遥かなるアポロンの彼方へ」は葛藤もありましたが、とても印象的なライブでした。
ーーどんな葛藤があったのでしょうか?
市川 初めてソロで「My Way」をパフォーマンスさせていただきました。本当に申し訳ないのですが、正直、私でいいのかなと思っていました。ソロでパフォーマンスしたいメンバーもたくさんいたし、なんで私なんだろうってすごく思ってしまって。もちろん真剣に頑張っていましたが、フィーチャーされることが嫌だと思ってしまう自分への葛藤がありました。

PHOTO:笹森健一
ーー市川さんとしては、大人数でのパフォーマンスがよかったのでしょうか?
市川 元々AKB48さんに憧れていたこともあり、大人数のグループが好きでした。グループの一員としてパフォーマンスしたい気持ちは強かったです。マジェスティックセブンは7人組でしたが、それでも視線が怖かったです。当時は、人に見られることに苦手意識がありました。
ーー苦手な理由はあったのでしょうか?
市川 どうしても自分が中心になると緊張してしまいました。性格的にも誰かをフォローをするポジションがすごく好きですが、先陣を切るのはすごく苦手で、目立つことを任されるとナイーブになっていたと思います。
ーーはちみつロケットの武者修行はどう感じられましたか?ロッカジャポニカの時とは感じ方は異なりました?
市川 ロッカジャポニカの時は悔しいより寂しい気持ちが強かったですが、はちみつロケットの時は純粋に悔しかったし、残されることへの危機感というか、どうなっていくんだろうという不安がありました。
ーー悔しいと同じくらい不安な気持ちがあった?
市川 残された3B juniorのメンバーでデビューすることはないと思っていたし、マジェスティックセブンはライブ数も少なくて。はちみつロケットは50番勝負など、たくさんのライブを経てデビューになったので、私たちはこのままで大丈夫かと思うことは多かったです。

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ーー2018年2月のライブをもってはちみつロケットが抜けて、新体制の3B juniorになります。そして11月には3B juniorの活動終了とアメフラっシの結成がありました。活動終了までの期間にも3B juniorの新体制でのワンマン、フェス出演、スタプラ東京、夏Sなどがありましたが、2018年はどのように見えていましたか?
市川 マジェスティックセブンとして、スタプラ東京に出させていただいたのはとても大きかったです。今まで選ばれる機会が少なかったので、チャンスをもらえたことに感謝しつつ、一つ一つのライブにかける思いは強かったです。
ーーメンバー全員が同じ方向を向いてたんですね。
市川 そうですね。レッスンはもちろんですが、ライブの前にはパフォーマンス内容をどうするか、メンバーで話し合っていました。マジェスティックセブンとして一致団結して集中していた時期だったので、アイドルとして成長できた期間だと思います。
ーーそして11月の「Cell Division〜細胞分裂〜」公演をもって3B juniorが活動休止、同時にアメフラっシが結成。3B juniorのラストライブが終わってすぐ、アメフラっシとして同じステージでパフォーマンスされました。公演を振り返ってみていかがでしたか?
市川 解散とデビューが同時だったので、アメフラっシとして残るメンバーと、アイドルとしてのラストライブになるメンバーの両方がいた公演で、レッスンでも少し気持ちにすれ違いが起きてしまうこともありました。
ーー当時のことで覚えていることはありますか?
市川 ラストライブの前に、3B junior全員で話し合ったことがありました。一人ずつ自分の気持ちをみんなの前で話しました。様々なメンバーの思いを聞いて、私はこれまで楽しいとか、好きという気持ちだけでアイドルをやってきていたんだと痛感しました。できることはたくさんあったし、それを年上のメンバーがやってくれていたことに気が付かされて。
ーー市川さんはその場でどのようなことを話したのでしょうか?
市川 自分でもっと考えて行動できるようになりたいって言ったことを覚えています。この時から、楽しいとか好きだけじゃなくて、アイドルとしていろんなことができるようにならなければと強く意識するようになりました。
ーーメンバーがいろんな思いで迎えた3B juniorのラストのパフォーマンスが終わると、アメフラっシとしてすぐにステージに立ちました。ステージに立っていかがでしたか?
市川 気持ちの切り替えは難しかったですし、ファンの皆さんの気持ちを考えたら何が正解かわからないと思っていました。でもどこかで、3B juniorのファンの皆さんだったら、きっとアメフラっシも受け入れてくださると思っていた部分がありました。

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ーー実際はいかがでしたか?
市川 正直、歓迎されていないことを痛感したライブで、今でもその感覚は忘れられません。冷静に振り返ると当たり前ですが、3B juniorの解散で推しとお別れになった方もたくさんいて。そんな中で、急に新しいグループができても整理がつかなくても当然かなと。でもどこかで応援してもらえるのかなと思っていましたが、そんなに甘くはなく、そのギャップが強く印象に残っています。
ーー多くのメンバーが3B juniorのラストライブを機にアイドルを卒業しました。
市川 卒業する理由もそれぞれだったし、年齢とか今後の人生を考えると、続けたくても続けられないメンバーもたくさんいて。そういったメンバーを推していたファンの方からすると、アメフラっシが登場した時は複雑な気持ちだったと思います。その空気感を肌で感じていましたし、アメフラっシのことをもっと考えなきゃと思いました。
ーーいろんな思いを抱えながら始まったアメフラっシでしたが、すぐに「魂の公開げいこ」や下北沢GARDENにて初のワンマンライブ「アメフラっシのちょっと早い年越っシ」が開催されました。2019年に入っても毎月のようにリリースを重ね、グループが一気に出来上がっていきます。当時はどんなことを思いながら活動されていましたか?
市川 ライブがたくさんできる喜びと今までやったことないようなことに挑戦させていただいた期間で、アイドルってすごいと改めて思いました。「魂の公開げいこ」のライブでは、毎回、ステージの作り方が違っていたり、どうライブを組み立てるかも自分たちで考えていました。全身全霊でアイドルをできていると感じる日々で、すごく楽しかったです。
ーー2019年はお客さんの前に立つペースも、リリースするスピードもすごかったですよね。
市川 たくさんの楽曲をいただいて、衣装もいただいて。アメフラっシとしてできることが広がっていくことは純粋に楽しかったです。一方で、短期間で成長する必要があったし、3B juniorより人数が減ったこともあって、メンバー同士でぶつかる機会も多かったと思います。
ーー2019年12月に、西武園ゆうえんちで5人体制のラストワンマン、その翌日に4人体制初のワンマン「なんだ神田アメフラ」を神田明神ホールで開催。濃い1年の最後に5人から4人への体制変更がありました。
市川 5人体制の翌日に4人体制の初ワンマン、しかもフルのワンマンライブだったのでかなりの曲数でした。この時期のレッスンはかなりきつかったです。西武園ゆうえんちでの5人体制のライブ終わった後も、会場に残って夜までレッスンをしていました。パフォーマンス以外の面でも、卒業したメンバーは頼れる存在でしたし、いなくなることへの不安がありました。3B juniorの時もそうですが、一緒に駆け抜けてきた子たちと別れるのは寂しいですよね。

ーー4人体制となった2020年は、今のAMEFURASSHIに近づいてくる年なのかなと思います。ターニングポイントとなったと言われる「メタモルフォーズ」のリリースがあったり、コロナ禍での活動が難しい中でも、よみうりランド日テレらんらんホールで「RUN! RUN! LIVE! 2020」、TSUTAYA O-WEST(現Spotify O-WEST)で2周年記念ワンマンライブ「2nd Anniversary Live“ON AIR”」を開催しました。2020年を振り返るといかがでしたか?
市川 コロナ禍までは、たくさんのライブをしたり、リリースしたり、すごいスピードで活動を続けてきました。でも現実的な話をすると、それでもファンの方が目に見えて増えているという感じはしなくて。自分たちは駆け抜けているつもりでも、新しい方に届いていない感覚でした。
ーー「メタモルフォーズ」のリリースで何かが変わりました?
市川 「メタモルフォーズ」はターニングポイントになった楽曲で、グループの方向性が定まってきたと思います。あとは、コロナ禍で大変なことも多かったですが、自分自身と向き合うことができた期間でした。基礎トレーニングをやり直す機会にもなりましたし、それがなければ、今のパフォーマンスはできていないと思います。

