現場での緊張感もひとしお『ライブレポート』が魔物たる理由

ライターの仕事は様々で、枚挙にいとまがない。コラム、インタビュー、レポート…。キャリア十数年を経てもなお「自分のやり方は正しいのか」と、常に自問自答している。

なかでも「魔物」と呼べるのが、ライブレポートだ。慎重に情報を吟味できるコラムや、その場で補足のために情報を掘り下げられるインタビューと異なり、現場では絶えずの緊張感がただよっている。

ライブレポートの難しさは、何といっても「現場がすべて水モノ」であるのが大きい。ステージにおける出演者の一挙手一投足、会場を盛り上げるための演出がめまぐるしく展開していくため、一時たりとも目を離せない。

他では(おそらく)発揮することのない集中力、観察力、そして、瞬間的な語彙力が求められるため、特に、終演後に間をあけず公開される“速報系”のライブレポートでは、書き上げた途端にドッと疲れが押し寄せる。

それでもなお、ライブレポートにやりがいを感じられるのはなぜか。ライブ会場の熱量を、原稿へバッチリ反映できたときに内から溢れ出るアドレナリンから、逃れられなくなってしまつまったからだ。

例えば、ある日のライブで出演者の◯◯が涙しながらステージの感動を伝えたときは、何と表現するべきだろう。「◯◯は『〜』とコメントした」と端的にまとめるのではなく、僕は「目をうるませた◯◯は客席をまっすぐ見つめながら『〜』と伝えた」と、しっかり一場面を描写したくなる。

ともすれば、自己満足なのかもしれない。しかし、ライブレポートには、僕なりのターゲットがいる。それは「チケットを干して、行けたのに行かなかった人」だ。

僕自身は公私問わず、アイドルのみなさんへのリスペクトを抱いているつもりだ。ただかつて、チケットがあるのに気分次第で「ライブへ行くのやめよう」と思ってしまうときも、たしかにあった。

そんなときに別の方が書いたライブレポート、SNSの感想などを見るたび「やっぱり行けばよかった…」と、多少なりの後悔に打ちひしがれていた。今では、当時の自分と似た境遇の方々を想像しながらステージの一部始終を観察し、言葉をひねり出している。

もちろん、ライブに足を運び思い出を振り返りたい方、やむをえず行けなかった方の“ココロ”も揺さぶれるように。ライブレポートならではの表現とは何かを追求しながら、これからも書き続けていくつもりだ。

カネコシュウヘイ

編集プロダクションを経て、2010年からフリーのライター・編集者に。アイドル、エンタメ、ビジネスなど、インタビューを中心にWeb・出版で精力的に活動。仕事もプライベートも「現場主義」がモットー。