答えはずっと奥の方 心のずっと奥の方

“答えはずっと奥の方 心のずっと奥の方” (※1)

これは、THE BLUE HEARTSの「情熱の薔薇」の歌詞に出てくる一文だ。

私はこの曲が大好きで、カラオケに行けば、友人と共に立ち上がって歌ってしまう。

しかし、ふと疑問に思った。心とは一体何だろう。

コトバンクによると、心とは「知、情、意によって代表される人間の精神作用の総体」らしい。

精神作用ということは実体がないはずなのだけど、胸がチクリと痛んだり、じんわりと暖かい心地がすると、ここに心がある気がして、さすったり押さえたりしてみてしまう。

「うら」とも読まれるその名の通り、心は表に出てこない秘めたものだ。

身体をめくって臓器の端から端まで探したって、心は見つからないだろう。

でも確実に心は一人ひとりにあって、色々な感情を味わいながらもみんな生きている。

目に見えないのに、自分を乗っ取り突き動かしてしまう心とはなんて厄介なのだろう。

それでも、世阿弥が残した「秘すれば花」という言葉の通り、隠すことが美しさの一つであるというのが、心という神様が私たちに与えた贈り物なのだ。

このように私が、心についてよく考えるようになったきっかけは、役者の仕事だった。

昨年出演した「歌妖曲〜中川大志之丞変化〜」での初舞台。

全48公演。1日に一度か二度、同じ演目を連日続けるということは、私にとって強烈な体験で、なんども見た景色、なんども聞いたセリフを、この空想を生きる登場人物たちは初めて聞くはずで、そこに新鮮さを持つことに苦闘した。

時系列で纏う香りを変えてみたり、メイクを変えてみたり、役を生きるために何ができるのか試行錯誤を続けることは、映像ではできない経験で、とても楽しかった。

鈍麻した心と向き合ったあの経験は、私にとってかけがえのない宝物だ。

しかし、楽屋とは見えないものである。

秘すれば花。私の苦悩は決して観客に漏れないし、舞台は舞台でしか決まらないのだ。

逆を言えば、楽屋でどんなに準備をしても、舞台で力を発揮できなければ意味がなくなってしまう。楽屋から舞台袖まで、てくてくと歩きながら、階段に表示された「下手、奈落」という言葉に苦笑いしたこともあった。

それでも、煌々と光る舞台に一歩足を踏み出せば、私の悩みは私のものではなくなる。

相手を眼差せば、否応無く溢れてくる感情はどこから来るのか、不思議だった。

そうして、役として生きる大きな実感を携えて、私が私でなくなる瞬間は、夢を見ているような心地だった。

舞台演劇とは、空間と時間が織りなす最もシンプルな芸術だと思う。