格闘技やサッカーなど、豊富なスポーツ経験は今の活動に活きている

――これまでのキャリアを振り返っていただきます。まず、幼少期の思い出は?

RIKITO 生まれたのがアメリカで、母と2人で1歳で日本に来てからは石川県で中学3年生まで過ごしていました。母がお金を惜しまず色々と学ばせてくれて、習い事をたくさん経験したんです。極真空手、カポエラ、和太鼓、三味線…と挙げたらキリがなく、学習塾にも通って、ピアノやドラムも習っていました。小学校時代から私立だったので近所に同級生はいなかったんですけど、帰ってからは自宅近くにあった公立小学校のグラウンドにサッカーボールを持って遊びに行って、友だちを作っていましたね。

――それほどたくさんの習い事をしていたら、学生時代はそうとう忙しかったのでは?

RIKITO そうですね。放課後は遊びに行きたい気持ちを抑えて、午前中で授業が終わる土曜日もご飯への誘いを断って「空手があるから行けない」と答えて、多少の寂しさはありました。でも、すべての経験が今の活動に活きているのでよかったなとは思います。元々、中学時代からはサッカー部に入りサッカー選手を目指していて、その夢は叶わなかったですけど、別の道で大きな存在にならなければと思いモデルから芸能活動をはじめて、スカウトされて今があるから後悔はないです。

――歌やダンスにも興味はあったのでしょうか?

RIKITO 父がマイケル・ジャクソンなどのアーティストをサポートしていたバックダンサーだったので、興味はありました。僕自身は歌もダンスも未経験でしたけど、モデル時代に「プラス、何かがほしい」と思っていた時期にスカウトを受けて、新たな武器として歌やダンスを手に入れるチャンスができたので、運命的なものを感じました。

――学生時代の経験で、今役立っていると思うことは?

RIKITO 体育会系での経験は、役立っていますね。グループ全員で筋トレをやっていますけど、体力的にぶっちゃけて余裕です(笑)。でも、加入後には挫折もありました。格闘技やサッカー、ダンサーの父の血も継いでいるから「俺にできないことはないだろう」と思って正直、たかをくくっていたんですよ。でも、加入当初、僕の3ヶ月ほど前に入っていたKOYA、RION、RYUICHIROとの差を感じました。振り付けを覚えるのが遅かったし、自分の実力は「こんなものか」と打ちひしがれて。けっこうしんどかったけど、自分を変えるきっかけにもなりました。