本当にSETの芝居をやりたい奴だけついてこいという気持ち

――80年代はSETのテレビ露出がすごかった記憶があります。

三宅 劇団ごと売ってやるって公言していたんですよ。もちろん最初のレギュラーは所属事務所が仕掛けてくれて。1984年に日本テレビで放映された「サザンの勝手にナイトあっ!う○こついてる」という深夜の音楽バラエティ番組で、サザンの桑田佳祐と三宅裕司をほぼ同等に扱ってくれたんです。桑田佳祐が初めてコントをやった幻の番組ですよ。それをきっかけに、同じく日本テレビで1985年に「いい加減にします!」というコント番組が始まって、伊東四朗さんや植木等さん、西田敏行さんや小柳ルミ子さんなど錚々たる方が出演してくれて、SETの劇団員が脇を固めました。あと同じ年にTBSで『冗談ストリート』というSETが中心になった1話完結型のドラマも始まりました。

――そこまで積極的にテレビを活用した劇団はそれまであったんですか?

三宅 なかったと思います。テレビの影響はすごかったですよ。チケットが取れない状況になりましたし、『ぴあ』っていう情報誌で演劇のベストテンを読者投票で決めていたんですけど、常に劇団四季と1位を争っていましたから。SETのオーディションをやれば、何万通も応募があって、そこから書類選考で数百人に絞って、3日間ぐらいかけてオーディションをやって。その中から20、30人を研修生として入れていたので、どんどん劇団員は増えていきました。

――どんどんSETが大きくなって、三宅さんの知名度も飛躍的に向上して、不安みたいなのはなかったんですか。

三宅 たくさんの劇団員の人生を背負うプレッシャーもありつつ、「俺は運の強い男だ」っていう気持ちがどこかにあったんですよね。それまで僕は受験にしても何にしても、いろんな試験を受けて落ちたことがなかったので、そういう過去を人生の支えにしていました。だから何とかなるはずだという根拠のない自信があったのかもしれないです。

――SETの解散は一度も考えたことがなかったんですか。

三宅 具体的に解散を考えたことはないんですけど、マスコミの仕事が忙しくなったときに、「これはもう無理だな」と思ったことはあるんです。劇団のことが何もできなかったですから。もちろん僕が解散するって言えば、すぐにできますし、劇団員からも「座長が解散と言ったら、すぐにSETは解散ですよ」と言われました。そう言われると、もうちょっと続けてみて、解散したくなったら解散と言えばいいんだと気が楽になって。だから、そこが一番の解散危機だったかもしれないですね。

――その時期は劇団へのモチベーションはどうだったんですか。

三宅 劇団を売るために、司会者とかをやり始めたら、それぞれの番組のスタッフと一緒に視聴率を取るために番組作りをすることが面白くなっちゃって、そっちにのめり込んで、あまり劇団のことは考えていなかったです。そうなると劇団の稽古場に行くこと自体がストレスになりました。

――また劇団に気持ちが戻ってくるきっかけはあったんですか。

三宅 SETから岸谷五朗と寺脇康文が辞めて、1994年に自分たちで劇団「地球ゴージャス」を旗揚げしたのが大きかったですね。一時期、二人をスターにして、自分は少し後ろに引っ込んでマスコミの仕事を中心にやっていく形を作ろうと思ったことがあったんです。でも二人はクレバーな人間ですから、SETで一生懸命やっても、結局は三宅裕司のということになってしまう。残りの人生、自分たちで作れる芝居はあと何本あるんだろうと考えたら、かなり限られてくる。それで「座長!僕らSETを辞めて自分たちで劇団を作りたいんです。だって座長もそうでしたよね?」と言われたんです。そう言われると、確かにSETを作る前にいた劇団から、どうしても自分のやりたいものをやりたくて15人を引き連れて劇団を作った。そのことをしょっちゅう二人にも話していたので、「座長もそうでしたよね?」と言われたら、何も言えなくなって、「よし頑張れ」と(笑)。二人の若手スターがやめてしまったので、また俺が頑張らなきゃダメだということで、三宅と小倉が前面に出て、二人の面白さを追求して、今に繋がる形ができたんです。

――2018年には、未来のエンタメ界を担う新たな才能を発掘すべく、小中学生を対象に「劇団こどもSET」を創立します。

三宅 40年以上劇団SETで培ってきたミュージカル・アクション・コメディーのノウハウを今の子どもたちに残したいと思って劇団こどもSETを創りました。SET自体も、どんどん僕と劇団員の年齢が離れて、一番下が22歳ぐらい。ここまで幅広い人間がいる劇団になるとは思わなかったですし、今後も本当にSETの芝居をやりたい奴だけついてこいっていう気持ちですね。

Information

劇団スーパー・エキセントリック・シアター 第61回本公演
「ラスト★アクションヒーロー~地方都市に手を出すな~」

日時:2023年10月19日(木)~10月29日(日)
場所:サンシャイン劇場

【作】𠮷井三奈子
【演出】三宅裕司
【出演】三宅裕司 小倉久寛
劇団スーパー・エキセントリック・シアター

劇団スーパー・エキセントリック・シアター第61回本公演は、とある平凡な地方都市に潜入した2人の男による、極秘に開発された超小型スーパーコンピューターを巡るスパイアクション。純朴な町の人々を巻き込み水面下の攻防戦が繰り広げられる、男たちの熱き絆と友情の群像劇。劇団スーパー・エキセントリック・シアターが最も得意とする“アクションの集大成”。

公式サイト

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三宅裕司

1951年5月3日生まれ。東京都出身。1979年、ミュージカル・アクション・コメディーを旗印に劇団「スーパー・エキセントリック・シアター」を結成。LF「三宅裕司のヤングパラダイス」(1984年~)、TBS「三宅裕司のイカすバンド天国」(1989年~)、NTV「THE夜もヒッパレ」(1995年~)、NTV「どっちの料理ショー」(1997年~)をはじめ、数々の番組を盛り上げるマルチエンターテイナー。映画では、『サラリーマン専科』シリーズ(1995・96・97年)『結婚しようよ』(2008年/主演)、『釣りバカ日誌14』(2003年)、『ドラッグストア・ガール』(2004年)などで喜劇役者としての評価を得るとともに、『壬生義士伝』(2003年)ではシリアスな演技が評価され「第27回日本アカデミー賞」優秀助演男優賞を受賞。2007年に17人編成のビッグバンドを結成し、バンマスを務め、ドラムを担当。ライブ活動を行う。2004年に東京の喜劇“軽演劇”を継承すべく伊東四朗一座を旗揚げし、出演と演出を行う。2006年に熱海五郎一座を座長として旗揚げ。2014年に新橋演舞場に進出し毎年公演を行う。

PHOTOGRAPHER:TOSHIMASA TAKEDA,INTERVIEWER:TAKAHIRO IGUCHI