一貫して人間というものを書いてきた

――今年1月14日に刊行した自選詩集『感情の配線』を出そうと思ったきっかけを教えてください。

森雪之丞(以下、森) 本の発売日に悲しいかな古希を迎えて(笑)。今年で作詞家デビューして48年目になるんですが、そのうちの約30年間で詩も書いて、5冊の詩集を出してきました。70歳になるにあたって、30年間に書いた詩が今の人たちにも届いてほしいなと。そういう思いで詩を選んで1冊にまとめて。そうすることで自分に気合いを入れたかったんです。

――過去の詩を読み返して、ご自身で変化は感じますか。

森 1994年に刊行した『天使』が初めての詩集になるんですが、この30年間で表現方法も、より自分のものになったので、もちろん拙いと思うことはあります。ただ振り返ってみると、『天使』を書いていた時代と今では考えていたことも違うんだけど、まとめてみると一貫して人間というものを書いてきたのかなと思います。たとえば「瞳を閉じて青空を見ろ」に、“威張った政治家が 金儲けのために頭を下げた木曜日”と書いています。これは『近未来詩集』(1998)に入っている詩ですが、最近も政治家の不正が次々と発覚して、今も変わらないじゃないですか。未来が明るかったときに書いた詩もあるんだけど、どこかに、このまま明るい未来だけじゃないだろうという気持ちも入っていて。そういう意味で言うと、人間の儚さ、哀れ、愚かさ、不条理といったものの中でも、自分なりの光や幸せを探したいという願いを込めて詩を書いてきたと思います。現在進行形で残酷な戦争も繰り広げられていますが、今詩を書いたにしても、その気持ちは変わらないんじゃないかという気がします。

――絶望的な状況でも光はあると。

森 『近未来詩集』というタイトルを付けたぐらいですから、次のビジョンを探すときは、近未来の夢を見ています。それが10年前でも30年前でも、近未来という次の扉を開けてくれるようなキーワードは、変わらずあったと思います。

――“詩”と“詞”の違いはどのように考えているのでしょうか。

森 一番の大きな違いは、作詞の場合、あるシンガーやアーティストに言葉を託す。そしてアーティストの心を通って、声になって、歌になって、初めて自分の言葉が世間に届く。言葉として読むのではなくて、歌としての言葉が届くんです。それに対して詩は、何も介在しないで、僕の書いた文字がダイレクトに言葉として伝わる。もう一つ、歌詞の場合は今ほとんどの場合、メロディーが先にあるので、メロディーにはめるから、字数の縛りがあります。それに比べて自由詩の場合は、その名の通り自由である。ただ、自由すぎて、何を書けばいいか分からない、どんなリズムになるか分からない。自由だからこそ不自由なところもあるわけで。だから新しいリズムみたいなものを自分で作っていかなきゃいけないという違いもあります。