自分が思い描くエンタメの一部としてダンスがある

――キャリアについてお伺いします。早くからダンスを始めているんですよね。

福澤 3歳の頃から始めたんですが、辞めている時期もあるので、真剣に踊ろうと思ったのは高校3年生ぐらい。きっかけは2013年に出た『24時間テレビ』(日本テレビ)の「ダンス甲子園」です。当時仲の良かったメンバーがゴリゴリに踊る子たちだったので、一緒に出るなら、もっと頑張らないといけないなというのが始まりでした。お芝居も並行してやっていたんですが、みんなから「いいよ」って言ってもらえるのがダンスで。「俺の武器はダンスなんだ」と気づいたことで、それを活かしながら仕事をさせていただいて。だからダンサーというよりは、自分が思い描くエンタメの一部としてダンスがあるんです。

――お芝居を始めたのも早いんですよね。

福澤 小学生のときに親の勧めで『ライオンキング』のオーディションを受けて、劇団四季に入りました。そこでエンタメが大好きになって、早い段階で死ぬまでエンタメでやっていきたいという思いがありました。

――初舞台のことは覚えていますか?

福澤 今でも鮮明に覚えています。もともと自分の意思で受けたオーディションではなかったので、お芝居が本当に嫌で。本番初日、ステージ袖に待機しているときも家に帰りたかったんです。ところがステージから客席を見たときに、お客さん全員のフォーカスが自分に向いていて。そこで「俺の居場所はここかもしれない」と思いました。

――十代からお芝居とダンスを両立して、二十代になるとグループ活動もして、全てで結果を出しているのはすごいですよね。

福澤 でも悪く言えば器用貧乏というか。一つのことだけを追いかけて極めることが、あまり得意ではないんですよね。いろんなことを経験したいから、結果的に活動の範囲も広がりました。

――学校とお仕事の両立はいかがでしたか?

福澤 正直できていなかったと思います。ただ、エンタメ業界以外の選択肢を考えたこともなかったです。

――早くからお芝居を始めて、特に良かったことは何でしょうか。

福澤 大人の人たちが何を求めているのか何となく分かるようになりましたし、良いものは良い、ダメなものはダメと年齢に関係なく評価される世界なので、プロ意識も培われました。

――表に出るお仕事の一方で、振り付けという裏から支える役割もしていますが、そこの切り替えはいかがですか。

福澤 僕的には一緒で、あまり切り替えないですね。作り込んでいくというよりはフィーリングで、その場で出たものを取り入れることが多いので、そこはお芝居も振り付けも一緒です。