生身の立ち回りの魅力は香港のアクションスタッフが世界随一

──他に演出面でどんな要求をされたんですか?

倉田 たとえば、驚く際の演技。目を見開いてハッとなって身構える。これじゃダメだってウー・シーユエンに言われる。もっと大げさに身構えて、やっとOKが出るんだけど、「監督、これじゃ大袈裟すぎるよ」って言ったの。そしたら「倉田ね、これは香港映画なんだよ。日本映画じゃないんだよ」と。

──大げさなまでに喜怒哀楽を出した芝居が、香港が世界に誇るクンフー映画の様式美なんですね。

倉田 香港の観客も、そうじゃないと夢中にならない。

──倉田さんが撮影で壁にぶち当たったようなことは?

倉田 ない。そもそも、こだわっているものなんて僕にはないから(笑)。なるほど、こういうやり方なんだ、とすぐになびいちゃう。

──日本の俳優が香港に呼ばれて、自分なりに役作りをして臨んだら、現場でまるで違うことを要求されて閉口したという話も聞きます。

倉田 順応できない人は到底やっていけない。香港まで来て、「台本を事前にもらえないなら出演しない」と要求して、降板させられた俳優もいます。

──無垢な若者だった倉田保昭は、香港流を楽しんで馴染むことができたんですね。

倉田 節操ないと言えばそうなんですが(笑)。おそらく僕は、たくさんのキャリアを積んで香港に渡ったとしても、こっちの流儀にすぐ合わせられたでしょうね。

──話は変わりますが、後年ブルース・リーとともに知られるようになったヌンチャクは、『ドラゴン怒りの鉄拳』(1972年)の撮影時に倉田さんがブルース・リーに本物のヌンチャクをプレゼントしたんですよね。

倉田 ええ。ところが彼の真似をするのはタブーなので、僕自身がヌンチャクを使えなくなってしまいました(笑)。

──『帰って来たドラゴン』は、ワイヤーワークで自在に跳んで舞うことも、特撮も使えない時代のアクションですが、今見ても息をのむ迫力とクオリティです。

倉田 香港のアクションスタッフは世界随一です。この映画はアメリカでは撮れないと思いますよ。

──こなせる俳優はハリウッドにもいない?

倉田 香港のクンフーは俳優が生身でやる。海外は、俳優がアクションできなくてもスタントマンがいるし、CGも使う。だからこそ、ジェット・リー(李連杰)と僕の『フィスト・オブ・レジェンド』(1994年)などは、CGを駆使したモダンなアクションよりも、欧米で大いに歓迎されました。

──近年の、ジェット・リーらスター俳優と対峙する撮影の際に、心がけていることはありますか?

倉田 ジェット・リーやドニー・イェン(甄子丹)などのスーパースターと向き合うと、その時点で気持ちが負けそうになります。でも、ここで恐れたら立ち回りにならない。相手を食っていかないといけない。悪役が腰を引いていては壮絶なアクションは撮れませんから。

──長い経験を通して学んだことですね。

倉田 ええ。悪役って、主人公より強いんですよ。

──確かに主演のスターが本気を出さなきゃ歯が立たない存在ですからね。

倉田 そこだけは、いくら演技力に長けていてもどうにもならない。強い気持ち、強い肉体、スピード、技術が必要。ジェット・リーも、ドニー・イェンもこれらすべて超一流ですから。

──倉田さんに白羽の矢を立てたのは、ショウ・ブラザーズではなく香港映画の神様だとさえ思います。幸福な人生ではないでしょうか?

倉田 幸せだと思わなかったことなんてありません。香港で求められて一番の敵役に抜擢されて、朝から晩までスーパースター相手にアクションをできたんですから。

──ありがとうございました。最後に、新作『夢物語』のお話をお願いします。牧歌的な導入部から一変して見せる、竹藪での老人・倉田保昭のアクションが圧巻の短編作品です。

倉田 短編ですが、アクションシーンは1週間かけて撮りました。最初は映画にするつもりはなくて、77歳でどれだけ動けるのかと思って、ウチの仲間だけで竹藪を借りて何気なく撮ってみただけなんです。でも、せっかく仕上げたんたから海外の映画祭に出してみようかと出品したら、インドとスペインで賞をもらいました。

──倉田さんは現役のアクションスターとして、まだやり残していることもあると思うのですが、今後の抱負をお願いします。

倉田 いやぁ、もういいでしょう。家族からも、怪我しないうちに辞めるよう言われています(笑)。

──倉田さんは往時と変わらない体型を維持されていますが、日課にしていることはありますか?

倉田 毎日、武術の型や、全身のストレッチを丁寧に、3時間は訓練しています。家族からは「ただ動いてるだけじゃない?」なんて呆れられますが、動けるというのは財産だろって言い返すんです。あと実は、『夢物語』の続編も準備しているんですよ。

──そうなんですか!香港から始まった「夢」の続き、まだまだ楽しみにしています!

Information

『帰って来たドラゴン』《2Kリマスター完全版》
2024年7月26日(金)より新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー

製作・監督:ウー・シーユエン(『死亡の塔』監督、『ドランクモンキー/酔拳』製作)
アクション監督:ブルース・リャン
主演:ブルース・リャン、倉田保昭、マン・ホイ、ウォン・ワンシー、ハン・クォツァイ
(1974 年度香港映画/カラー/16:9/DCP/99分)
協賛:アートポートインベスト 提供:倉田プロモーション 配給:エデン
©1974 SEASONAL FILM CORPORATION All Rights Reserved.

清朝末期。麻薬や人身売買など、あらゆる犯罪と暴力が渦巻く悪の魔窟、金沙村(ゴールド・サンド・シティ)。悪辣なボス、イム・クンホーが支配するその街にやってきた一人の男。巷にはびこる悪を懲らしめながら流浪の旅を続ける正義の好漢、その名もドラゴン。彼にはある目的があった。旅の途中、ドラゴンは二人組の盗賊リトル・マウスとブラック・キャットに襲われるが、鮮やかな機転と華麗なクンフー技でそれを退け、逆に二人の盗賊はドラゴンに弟子入りして旅を共にしていた。ドラゴンと 二人の弟子が金沙村に到着した頃、イーグルと呼ばれる伝説の女格闘家もその街にやってきた。彼ら全員の狙いは“シルバー・パール”というチベットの寺院から盗まれた秘宝にあった。そして、もう一人、金沙村のイムを訪ねてやってきた謎の男、ブラック・ジャガー。彼こそ非情な殺人空手の使い手として恐れられる格闘家で、彼が肩に背負い、運んできたものこそ秘宝“シルバー・パール”だった。やがて、“シルバー・パール”を巡り、ドラゴン、ブラック・ジャガー、イーグル、リトル・マウス、ブラック・キャットら最強の強者たちが腕を競い、壮絶な激闘と騙し合いを繰り広げながら、果てしない争奪戦が続いていく……。

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倉田保昭

1946年3月20日生まれ。茨城県出身。空手七段、柔道三段、合気道二段。1971年、映画『惡客』(邦題『続・拳撃 悪客』)で香港映画デビュー。以降、トップ俳優にのし上がり、香港のクンフー映画で歴代のスーパースターと共演。名実共にアジアのみならず、全世界の映画界を代表するアクションスターとなり、多くの作品が日本で公開されている。日本ではテレビドラマ「闘え!ドラゴン」「Gメン’75」などに出演。

PHOTOGRAPHER:MASAHIKO MATSUZAWA,INTERVIEWER:TAKEHIKO SAWAKI