家族の関係性はロールプレイング的なところがある

中屋 山西さんが監督された映画『彼女来来』(2021)を拝見しました。穏やかさが怖さを増幅させたかと思えば、すごく愛おしかったり、不思議な気持ちになる映画でした。

山西 ありがとうございます。自分で作ったんですけど、伝わりにくい変な映画が出来上がりました(笑)。

中屋 『彼女来来』を観たイメージでは繊細な方なのかなと思いました。ちょっとしか映らない小道具も綺麗で、女性のような感性を感じました。

山西 繊細なものが好きなので、繊細な人間ではあるかなと思います(笑)。ただ『彼女来来』に関してはスタッフさんたちが素晴らしかったのが大きくて、予算がない中で本当にみんな頑張ってくれて、細かいところまで作り込んでくれました。

中屋 今回の舞台『点滅する女』は、どのような経緯で始まったのでしょうか。

山西 『彼女来来』の話が出たので、それに紐付けてお話すると、それよりは分かりやすい作品だと思います。どちらかと言えば分かりにくいものを作りたい時期と、そうじゃない時期があって。今回の『点滅する女』はできるだけ物語として分かりやすく、多くの人に見てもらいたいというのが前提にありました。

中屋 どうして家族の物語にしたのでしょうか。

山西 どういう話を作ろうかなっていうときに、会話劇で家族の話をやりたいなと。というのも30歳を超えたあたりから、親に対してのありがたみをベタに感じるようになって。そういうところから家族についての物語をやってみたいなと思ったのが直接的なきっかけです。

中屋 『点滅する女』は姉妹のお話で、山西さんの家族構成がすごく気になりました。私も妹がいるので気持ちが分かるというか、なんでこんなに姉妹の関係をセリフで分からせることができるのだろうと思いました。

山西 僕は父、母、妹の4人家族です。ただ、父も母も仕事で忙しくて、いつも祖母が家にいて、祖母と妹と僕と3人でいることが多かったんです。あと僕は幼いとき体が弱かったのもあって、外でキャッチボールをするというよりは、家の中で妹が買ってきていた『りぼん』を読むみたいなタイプの子どもだったので、それが関係あるのかもしれないですね。

中屋 私が山西さんの作品に女性性を感じたのは、そういうのがあるかもしれないんですね。今まで家族の物語を考えたことはなかったんですか?

山西 そこまで考えてなかったです。僕の家は、家族仲は良いんですけど、僕も含めて一人ひとりが分かりやすく独立した意思を持っている家族な気がしていて。「家族は個別の人間の集まりである」というのをすごく感じるタイプの家族というか。みんな自分の時間がはっきりある人たちで。そういうものが今回の物語を書いている根底にある気がしています。強固な共同体ではあるけど、分解すると個人だよねという意識が昔から割とあったんですよね。

中屋 うちは役割みたいなものがはっきりしている家族、父は父っぽく、母は母っぽくみたいな家庭でした。私も姉らしい姉だったんですけど、それが違和感あるなと思ってました。たとえば「今の一言は、あまりにも姉らし過ぎるな」とか、姉を演じているような気分になることがあって。でも傍から見たら美しい家族なんでしょうね。

山西 そういう面に関しては、うちもそうだったと思います。そもそも家族って、そうなっちゃうというか、ロールプレイング的なところがありますよね。

中屋 ありますね。実家を出て、客観視するようになってから、そういう家族の関係性って面白いなと思うようになりました。実家にいるときは、あんまり思わなかったんですけど。