自分自身もフィルム自体も上手くいくだろうと思えればオファーを受ける

――『大いなる不在』を撮った近浦啓監督とは、今回が3作目のお仕事になりますが、どういう出会いだったのでしょうか。

藤竜也(以下、藤) 最初は『Empty House』(2013)という短編映画でオファーをいただいたんですが、それ以前に近浦監督はライターをしていた時期があったんです。私は覚えていなかったんですが、その頃にインタビューをしていただいたことがあったそうです。

――藤さんが短編映画に出演するのは珍しいですよね。

藤 『Empty House』が2回目でした。

――オファーを引き受ける基準みたいなものはあるのでしょうか。

藤 具体的に「これこれこういう条件が揃ったから、出演します」ではないんです。言葉では説明できないんですよね。勘と言いますか、私が出演したら、自分自身も、フィルム自体も上手くいくだろうと思えれば受けさせていただきます。もちろん勘が外れる場合もありますけどね。

――『Empty House』に続いて、近浦監督の長編第1作『コンプリシティ/優しい共犯』(2020)に出演されていますが、撮影現場での監督の印象はいかがでしたか。

藤 静かな方で、現場もものすごく静かです。あと近浦監督は、何度もリハーサルをやりません。よく勘違いされるんですが、リハーサルは俳優のためだけにやるのではなくて、カメラからライティングまで全ての技術、俳優含めてのリハーサルです。そもそも俳優は基本的にリハーサルしないほうがうれしいんですよ。

――そうなんですか?

藤 最初が一番フレッシュだから、そのまま始まってくれるのがありがたいんだけれども、監督によっては、きちんとした撮り方をしたくて、何度も繰り返します。そうなると俳優もリハーサルとはいえ、棒読みをする訳にはいかないでしょう。その時間が無駄なんですよね。刺身だってさーっと切って、すぐに食べてくださいという状態が一番美味しいでしょう。そういうことを理解してくださっているのか、近浦監督のリハーサルは必要最小限です。

――今回は35mmフィルム撮りなので、現場の緊張感もすごかったのではないでしょうか。

藤 フィルムは高いですから、スタッフは緊張したでしょうね。私も若い自分は全てフィルム撮りでしたし、NGを出すと嫌な顔をされるので、ものすごく緊張しました。でも今は気にしなくなったんです。今回も途中までフィルム撮りだったことすら気付かなかったですし、カメラがどこにあるのかも、ライトがどう当たっているのかも知りません。撮影現場では、そこに生きることだけが私の仕事だと思っているので。

――いつ頃から、そういうことを気にしなくなったんですか。

藤 ずいぶん前からですね。映画全盛の時代はカメラがデカくて、フィルムをガラガラ回しますし、アップではカメラがグッと寄ってきますから圧がすごかったんです。あの頃のリラックスできない環境は芝居に良くないです(笑)。

――初めて『大いなる不在』の脚本を読んだときの感想はいかがでしたか。

藤 どんな映画になるのか全く分からなかったですね。取り立てて感動的なシーンもないし、笑えるシーンもないし、びっくりするシーンもないですから。ある家族の、あるフェーズでの、どちらかと言うと悲劇的な状況を俯瞰して描いていて、セリフが粘着質に書き込まれている。やりがいはありそうだけど、観客とどういう関わりを持つ映画になるのか想像もつかなかった。ところが出来上がった作品は、世界的な映画祭での評価が高くて、もう私にはホン(脚本)を読む力がないなと思いました。

――そんなことはないと思いますが(笑)。劇中で、藤さん演じる陽二の再婚相手・直美(原日出子)が綴った日記帳が重要な役割を果たします。映画では断片が読まれていきますが、実際の日記帳はどんなものだったんですか。

藤 本物の日記と同じく、びっしりと日々の気持ちが綴られていて。陽二の息子・卓(たかし)を演じた森山未來さんが、「一番感激したのは日記帳だ」と仰っていたぐらいで、素晴らしい小道具でした。