最初のお芝居が「テニミュ」だったからこそ今の自分がある

――キャリアについてお伺いします。この世界に興味を持ったきっかけを教えてください。

荒牧 高校時代、友達が俳優をやっていたんです。ある日、昼まで遊んで、「これから撮影があるから、夜にまた集まろう」と言われたんですが、僕も暇だったので「邪魔はしないから、遠巻きに見学させてくれ」とお願いしたんです。確かMV撮影だったんですが、場所は公園で。お芝居をしている友達の顔を見たら、それまで僕が見たことのない表情で楽しそうにしていたんです。そのときに、「楽しそうにやっていていいなぁ」と思ったんですよね。

――普通に高校生活を送っていたら、縁のない世界だから新鮮ですよね。

荒牧 ただ、そのときは漠然と面白そうな世界だなと思っただけで、芸能活動に興味を持った訳ではないんです。当時はテレビのドラマやバラエティよりも、アニメ、マンガ、ゲームが大好きな学生でしたからね。学校ではテニス部に所属して、部活に打ち込んでいましたし。

――当時はどんな進路を考えていたんですか。

荒牧 数字が好きだったんですが、理系ではなかったので、大学は経済経営学部に進んだんです。OB、OGにメガバンク出身者がいたので、先輩方もそういうツテでメガバンクに行くとか、銀行員になる方が多かったので、僕もそういう流れに乗るのかなと思っていました。

――そこから、どうして俳優の道に進んだのでしょうか。

荒牧 就活の時期に自分は何をやりたいのか、どういう職業に就きたいのかを考えたときに、「そういえば俳優って面白そうだったな」と思い出して、俳優の世界に飛び込もうと思いました。

――大胆な決断ですね。

荒牧 当然、母親からは反対されました。僕は母子家庭で育って、決して経済的に楽じゃない家庭環境で大学に通わせてもらいました。母親からは「せっかく高い授業料を払って大学に通わせたのに、どうして俳優なんだ。それ一本でやっていくのは難しいだろう」みたいなことを言われました。実際、この世界に入って分かったことですが、舞台を中心に活動している役者の大半はバイトをするのが当たり前でした。

――それでも荒牧さんの意思は固かったと。

荒牧 母親には、「初めて自分からやりたいと思えることができたから一回挑戦させてほしい」と頼み込んで、大学は絶対に卒業すると約束しました。ただ大学を卒業したら22歳。この年で芸能事務所に入れるかどうかも分からない。僕の友達のように、役者は十代の頃からやっているイメージがありましたからね。それで二十代からスタートする僕にできる芸能活動はなんぞやと考えまして、いろいろ調べていくうちに、ミュージカル『テニスの王子様』(以下、「テニミュ」)がいいなと思ったんです。作品の存在は大学時代から知っていて、若手俳優の登竜門と呼ばれている舞台というのも理解していました。まずは「テニミュ」に出るチャンスを掴まないといけない。ネットの意見では、大手の芸能事務所に入っても、大勢の中に埋もれて、新人は目をかけられるのも難しいだろうと。だったら「テニミュ」の出演俳優を輩出している芸能事務所を探そうと自分なりにリサーチして。ここだと思ったところに応募しました。

――知らない世界なのに、かなり戦略的に考えていたんですね。

荒牧 面接に行ったら、部屋に通された瞬間、担当者の方が退出したんです。第一印象で落ちたのかなと思ったら、すぐに戻ってきて、「『テニミュ』のオーディションあるんだけど受けてみない?1週間後が締め切りなので、今決めてくれたら、すぐに準備をします」と言われたんです。もちろん僕は「テニミュ」のオーディションがあることなんて知らなかったんですが、これはチャンスだと思って、「ぜひお願いします!」と。それで滑り込みセーフで「テニミュ」のオーディションを受けたら合格して、今ここにいます(笑)。戦略と運が上手くかみ合ったんですよね。

――初めてのお芝居が「テニミュ」というのもすごいですね。

荒牧 初めてのことばかりで、毎日がむしゃらでした。セリフを言わなきゃいけない、踊らなきゃいけない、歌わなきゃいけない、テニスもしなきゃいけない。体力もいるし、やることが多過ぎて、すごい世界だなと思いました。初めてのお芝居なので見よう見まねではあったんですが、全力でやるしかないという気持ちで毎日臨んでいました。何も知らない初心者だから、がむしゃらにできたのもあると思いますし、最初から大きい作品に出させていただいたからこそ、新人の僕でもファンの方がついてくださって、今の荒牧慶彦があります。最初に「テニミュ」に出ていなかったら、役者を辞めていたかもしれませんね。