渋谷で一番人を集めたことで、路上パフォーマンス界隈で話題になる
――セッションを通じて、曲を作ることはなかったのでしょうか。
Novel Core 当時はYouTubeでタイプビートを見つけて、携帯のGarageBandなどで録音するみたいな、遊びの延長レベルでしか曲を作っていなかったので、セッションで曲が生まれることもなかったです。
――先ほどビートボクサーのお話しが出ましたが、ラッパーやシンガーとの親交はあったのでしょうか。
Novel Core ジャムにラッパーやシンガーが飛び入りで参加することもありましたし、僕にとってラップの師匠みたいな人が一人いて。$iva $aigoさんという人なんですが、ロックバンドを三つぐらいやっていて、ロックバンドをバックにヒップホップマナーに則ったラップをしていたんです。ロックバンドマターのラップスタイルじゃなかったから、すごくかっこよくて。$iva $aigoさんのライブをSHIBUYA THE GAMEとかに観に行ったり、あと東高円寺二万電圧とかもよく遊びに行っていて、自分も最前列に混ざってモッシュをしていました。その時期に、$iva $aigoさんからロック現場とヒップホップ現場の両方を学んだ気がします。ラップに対するスタンスやファッションも含めて、ロールモデルになったというか、あちこち連れ回してもらったので、良い経験になりました。
――ヒップホップ界隈だけにいると、そういう広がりもなかったでしょうね。
Novel Core ライブの楽しみ方もヒップホップのシーンとは違うし、ダイブやモッシュも当時の日本のヒップホップシーンでは皆無に近かったんですよね。ロックの現場は、こういう遊び方をするんだ、こういう層もいるんだとか、いろんなものを見て学びました。
――路上ライブを2年半で一度区切りつけたのには何か理由があったのでしょうか。
Novel Core ジブさん(Zeebra)さんから声をかけてもらって、GRAND MASTERの所属が決まって、ちゃんと曲を作って、レコーディングをして、リリースをして。本格的にアーティストとして活動していこうという話をしてもらったタイミングで路上はお休みしようと。スタジオワークなどに時間を使っていこうということで一旦、路上から離れました。
――2年半の間、ライブハウスでパフォーマンスする機会はあったんですか。
Novel Core 当時の渋谷で僕たちのチームが一番人を集めていたので、渋谷だけじゃなく新宿や品川などの路上パフォーマンス界隈でも話題になっていて。それきっかけでイベントのオーガナイザーなどから、セッション単位でお話をもらうことがありました。あと賽ノ目くんマターで今はなくなってしまった渋谷のVUENOSや池袋のBEDといった箱で、僕たちも普通のライブアクトと同じように時間をもらって、ステージ上でジャムセッションをさせてもらっていました。
――クラブに行くこともあったんですか?
Novel Core ちょくちょく行ってました。週末のパーティーにふらっと顔を出すこともありましたし、バトルイベントで行くこともありました。GRAND MASTER で最初のシングル「Metafiction」をリリースしてからは、バトルをした後に5分、10分もらってショットのライブもさせてもらっていました。
――GRAND MASTERに所属してからも、ワンマンライブをやりたいみたいな気持ちはなかったのでしょうか。
Novel Core まだ単独公演やツアーみたいなことは考えられなくて、とにかく曲をたくさん作って、ブッキングをもらって、ライブをたくさんするアーティストになろうと思っていました。