初めてSETの舞台を観たときに、この劇団に入ろうと思った

――5年も同じバイトを続けるのはすごいですね。

野添 正直、だんだん飽きてくるんです。約30分のショーなんですが、毎回構成が決まっているんですよ。最初に悪役が出てきて、ヒーローが助けに来て、悪役が逃げて、また出てきて、最後はヒーローにやられるというパターン。それをずっとやっていると飽きてくるので、途中で白衣を着た博士を出してみようとか、お客さんの中にサクラを入れて、口から血糊を出してびっくりさせようとか、迷彩服を着て地球防衛軍みたいな格好をして出てみようとか、基本的なパターンを肉付けしてやっていくのが楽しくて。そういうところから役者という仕事は面白そうだと興味が湧いたんです。それで役者をやるなら東京に行かないと駄目でしょうということで上京しました。その時点では、お芝居の基礎は何もなかったです。

――どういう経緯でSETに入団することになったのでしょうか。

野添 大阪でアクションをやっていた同業者の方が、当時SETの舞台でアクションの振り付けをしていた先生のアシスタントをやっていたんです。その方から、「一度SETの舞台を観てみたら」と言われて、初めて観た舞台がSETで、それが本当に面白かったんですよね。

――すでにSETは人気があったんですか?

野添 演劇好きの中でSETは知る人ぞ知る存在で。池袋のシアターグリーンという当時130人でいっぱいになるようなところに、180人ぐらい詰めかけていて。もう小劇場では公演できないぐらいの人気劇団にはなっていました。SETはアクションもやっているということでオーディションを受けたら合格して、その翌年から正式に劇団員になりました。そしたら間もなく三宅さんがテレビやラジオにも出るようになって、劇団自体も一緒に有名になっていきました。

――当時、劇団員の数は?

野添 僕も含めて17人ぐらいしかいなかったです。

――すぐにメインキャストになれたのでしょうか。

野添 いやいやいや。とんでもない。僕よりも先輩の、いわゆる創立メンバーと言われる人たちが中心にやっていて、座付作家さんもいらっしゃったんです。僕なんかは子分Aや男Aみたいな端役でした。

――お芝居はSETの先輩が教えてくれたんですか。

野添 うちの劇団は教えてくれないんですよ。見て自分で覚えていく。新しく劇団員が入ったからといって、「お芝居ってこういうもんだよ」という授業があるわけでもないし、先輩が舞台でやっているものを袖で見て覚えてというところから入っていくんです。

――先輩からアドバイスをもらう機会はあったんですか。

野添 昔はよくお芝居が終わったら、劇団員で飲みに行っていたんです。そのときに先輩から、酔った中でのアドバイスをいただいていました(笑)。三宅さんからは、「野添はアクションもできるし、踊りも上手いし、あとは『笑い』というものを、ちゃんとできるようにしないといけないな」と飲みの席で、いろいろな話を聞かせてもらいました。

――『笑い』をやりたい気持ちもあったのでしょうか。

野添 たまたま入ったところがコメディ劇団だったというところで、最初はあまりなかったですね。大阪出身なので、吉本新喜劇や松竹新喜劇の舞台は身近でしたし、小さい頃から吉本の芸人さんのモノマネなんかもしていました。ただ、SETは東京の『笑い』で全然違ったので、まだ小劇場でやっているときに、袖で三宅さんのリアクションや間、表情などを観察して真似して勉強していました。

――先ほどダンスのお話が出ましたが、それも自己流だったんですか?

野添 SETが小劇場から徐々に大きな劇場に移っていく中、劇団員のパフォーマンスのクオリティを上げなきゃいけないということで、ダンスやアクションの先生を呼んでレッスンを受けていたんです。それまでダンス経験もなかったんですが、ジャズダンス、クラシックバレエ、タップダンスなどを学びました。

――そこまでダンスに力を入れる劇団も珍しいですね。

野添 当時のSETは今と違って若手の新人もそんなにいないし、僕が一番年下だったんですが、一番年上の三宅さんでも7歳しか違わない。だから三宅さんも含めて、劇団員全員でレッスンを受けていました。

――三宅さんの言う通り、ダンスが得意だったんですか?

野添 そうですね。当時は動ける男子があまりいなかったので、若手のときはダンスリーダーとアクションリーダーをやっていました。僕の2、3年後に(岸谷)五朗ちゃんや寺脇康文くんがSETに入ってくるんですが、後に五朗ちゃんがダンスリーダーを引き継いで、今もSETではダンスリーダーが代々受け継がれています。