こんにちは。GANG PARADE/KiSS KiSSのキャ・ノンです。前にアイドルリアル備忘録で「アイドルとファンの特殊で特別な関係について」という文章を書いたのですが、実はだいぶ前に書いた『推し変』というタイトルの小説から引用したり思い出したりしてました。コロナ禍で書いたので、今とは違う状況で描かれていたり、こうやって時代は変わっていくのかと面白かったのもあり、今日はそれを載せちゃおうかなと思います。自分の経験や、聞いたことや見てきたものを基に、誇張したり想像して書いているので、あくまでもフィクションです。よかったら読んでください。

『推し変』

「推すのやめるね、ごめんね」
こちらといっさい目を合わせず、その言葉だけを残して、もじもじと気まずそうに彼は自ら剥がれていった。ついぼーっと、遠ざかる彼を眺める。列から少し離れて歩く背中は、迷いなど感じさせない勇敢な戦士のようだった。言われた言葉を反芻する。推すのをやめるということは、もう特典会に行かないですよというアピールなのか、もうあなたのことは好きじゃないですよということを伝えたかったのか。いずれにせよ、本人に直接言い放つ必要はあったのか。ぐるぐると脳内を掻き乱されて、少しだけ腹が立った。しかし、特典会は終わらない。次に並んでくれている人は、前の人の会話なんて何ひとつ気にせずにやってくる。掻き消し切れない動揺を抱えたまま、来てくれてありがとう、とマスクの下で見えない口角を上げた。

今日の特典会は永遠のように感じた。少し会話をして、チェキを撮影する。とても単純作業なのに、わたしにはすごく難しい。咄嗟に出てくれない言葉に何度失望したことか。きっと彼も、わたしの何かに失望してしまったのだろうか。わたしの何がいけなかったのだろう。あれだけ顔が好きだと言ってくれていたのに、少し太ったから? 自己管理ができていないところが嫌だったのか。それとも生活の中の優先順位が変わったのか。お仕事が忙しくなるとか? それだったらあんなこと言わないか。あとは、他の子のことが好きになったのか。わたしより可愛くて、歌もダンスも上手くて、話すのも楽しくて、そんな子と運命みたいに出会ってしまったのだろうか。
帰りの電車は、彼のことしか考えられなかった。当のわたしはこんなに苦しくなっているというのに、彼の中にいたわたしは今日消滅したのだろう。もうとっくに好きではないのに、無理して推しと言っていた気まずさから解放されて、今頃すっきりしているだろうか。

いいものが見れることなんてないのに、なんとなくツイッターを開いてしまう。彼のアカウントに飛ぶと、わたしの名前はbioから律儀にちゃんと消えていた。あれだけ撮ってくれたチェキはどうするんだろう。全部捨てるのか、一応取っておいてくれるのか。あとあんなに買ってくれたわたしのグッズも。嫌いになったわけではないのかな。そんなことももう、直接聞くことはできないのだろう。乗り換えをしても、最寄駅についても、頭の中は彼のことでいっぱいだった。もちろん、ファンでいてくれる人や、わたしのことを推しだと言ってくれる人は彼以外にもいる。彼のことだけを特別だとか、一番と思っていたわけではない。それでも、100分の1とかそんなんじゃなくて、1分の1として彼のことが好きだったのに。

帰ってもベッドに沈むことしかできなかった。わたしはただの人間で、彼もただの人間。偶然出会えたことがものすごく嬉しいことで、好きになってもらえたことがもっと幸せで、好きじゃなくなったと伝えられることがこんなにもつらい。一緒に駆け抜けた夏はなんだったのだろう。
よく考えると、わたしは彼のこと何にも知らなかった。ニックネームの由来も知らないし、本名もわからない。住んでいる場所も、職業も、好きな色も、嫌いな食べ物も、誕生日も、はっきりした年齢も、何にもわからない。もっと聞いておけばよかった。今になって、知れていたら違ったかもしれないなんて思ってしまう。彼もきっと、世に出ていない情報は何も知らないはずだ。それでよかった。お互いのことを何にも知らないのに、好き同士でいられたことがすごいことなのかもしれない。彼が好きだと言ってくれた歌は覚えているし、ライブでその曲をやるときは、気付かれなくても彼のことをよく見ることにしていた。褒めてくれたパートだって、歌うたびにこれからも思い出してしまうのだろう。

そのまま眠ってしまっていた。目が覚めても、昨日の出来事は夢ではなかった。今日もライブだ。どんな精神状態でも仕事は待ってくれない。ずいぶん早い時間に眠ってしまったのか、家を出る二時間前に起きることができた。寝ぼけ眼でシャワーを浴びる。髪を乾かしながら軽く声出しをした。

会場に着いても、気持ちは特に切り替わらなかった。メイクをしても、リハーサルをしても、衣装を着ても、もやもやは消えてくれない。SNSはなんとなく見ないようにした。いつも通り円陣を組んで、いつも通り大音量でSEが流れる。ステージに飛び出す。彼のいない客席が今日から日常になるのだろう。

過去の連載記事はこちら
https://strmweb.jp/tag/ca_non_regular/

キャ・ノン

「みんなの遊び場」をコンセプトに活動する12人組アイドルグループGANG PARADEのメンバー。また、「KiSSをあなたにお届けchu!♡」をキャッチコピーに活動するWACK初の王道5人組アイドルグループ『KiSS KiSS』のメンバーの一人でもある。ライブ好きで、苦手なことや、できないことは出来るようになればいいというタフでロックな精神の持ち主。2024年5月31日より自分自身のライブレポートなどを綴った『アイドルリアル備忘録』をSTREAMにて連載中。