人生のファーストツッコミが自分の中では衝撃的でゾクゾクした
——初の著書『ツッコミのお作法 ちょっとだけ話しやすくなる50のやり方』では、ツッコミや、ツッコミを繰り出すときのマインドなどを、例を交えながら紹介していますが、そもそも森本さんがツッコミに目覚めたきっかけは何だったのでしょうか。
森本晋太郎(以下、森本) 忘れもしない小学3年生のとき、僕はインターナショナルスクールに通っていたのですが、日本語が話せる同級生と干支の話をしていたんです。僕らの年だと「巳」か「午」なんですが、インド人のネハル・ドシという子に「お前は何年(どし)?」と聞いたら、「俺はネハルだよ」と答えたんです。そのときに「そっちの“ドシ”じゃねえよ!」とツッコんだのがファーストツッコミでした。
——そのときのドシくんの反応は?
森本 ポカンとしてました。「何それ? はあはあ、なるほど」みたいな(笑)。別にウケた訳でもないんですが、自分の中では衝撃的でゾクゾクしました。
——どういう経緯でインターナショナルスクールに通うことになったんですか?
森本 親の意向です。将来、英語が使えたら世界に通用する人材になるんじゃないかということで入れてもらいましたが、今は日本でコメディアンをやっています。
——インターナショナルスクールと普通の学校では、笑いの質も違いそうですね。
森本 全然違います。日本語が話せない生徒もいましたし、ツッコミというのもないですし、基本バラエティも見ない子が多いんですよ。たまたま僕が仲良くしていたのは、バラエティや日本のお笑いが大好きな日本人やハーフの子でした。他の人たちとお笑い話ができない分、そのグループの子たちとは色濃い話ができて、休み時間にサイコロを使って「すべらない話」をやったりもしていたんです。それぐらい僕と同じぐらいお笑い熱の高い子が、たまたま周りにいたんですよね。
——海外にはツッコミという概念がないんですか?
森本 本来のツッコミって正解に対しての訂正じゃないですか。たとえばアメリカには、いろんな人種が集まっていて、宗教もたくさんあって、「こうだろう」という常識が人それぞれ過ぎて、ツッコミというのがないんです。日本は「普通はこうだよね」というのがあるからこそ成立しているんですよね。アメリカもエピソードトークや自虐、他の人種をいじるブラックジョークなどはありますが、わざとボケてツッコむみたいなのは少ないですね。
——インターナショナルスクール出身で、お笑いをやっている人も珍しいですよね。
森本 おそらくインターナショナルスクールを出て、日本で芸人をやっているのは僕しかいないと思います。インターナショナルスクール卒で、芸能の道に進む人はラッパーになったりしますからね。
——インターナショナルスクール時代はどんなバラエティにハマっていたのでしょうか。
森本 『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ)や『エンタの神様』(日本テレビ)などのネタ番組を中心に、当時流行っていたバラエティは一通り見ていた記憶があります。
——コントと漫才、どちらがお好きでしたか?
森本 『M-1グランプリ』が大好きだったので漫才ですね。漫才師になりたくて芸人を目指していたはずが、気付いたらトリオでコントをやっていたんですが……。おかげで早い段階で、この世界は思い通りにいかないんだと気付かされました。
——特に好きな芸人さんはいましたか。
森本 事務所を意識していた訳ではないんですが、おぎはやぎさんやアンタッチャブルさんなど、人力舎の人たちが好きで。それで大学卒業後に人力舎の養成所(スクールJCA)に入ろうと決めたんです。
——著書では、くりぃむしちゅーの上田晋也さんをリスペクトしていたと綴っています。
森本 もともと、くりぃむしちゅーさんはバラエティで活躍している好きな芸人さんのうちの一組だったんですが、上田さんがピンでやられていたラジオ『知ってる?24時。』(ニッポン放送)を聴いて、「この人だ!」と思ってヘビーリスナーになったんです。
——くりぃむしちゅーのラジオ番組と言えば、『くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)の印象が強いです。
森本 その前に『知ってる?24時。』が月曜から木曜の24時の帯で、金曜日だけ24時に『目からウロコ!24』という有田(哲平)さんMCの兄弟番組をやっていたんです。それが両方終わって、『くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン』が始まったんですよね。当時の空気感で言うと、上田さんが人気で、有田さんはヒール。僕も思春期だったので、その通りだと思っていて、「なんで有田さんと一緒にやるんだよ!」と憤って、上田信者としてはリアルタイムで『くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン』は聴かなったんです。
——それほど上田さんの影響は大きかったと。
森本 めちゃくちゃ影響を受けました。この世界に入ったのも「上田さんみたいになりたい」と思ったからで、養成所時代はたとえツッコミだらけ。下手すると全ツッコミがたとえで、「今は何の話をしてるんだ?」みたいな。たとえたいがための漫才をやっていましたね。
——当時の養成所は他の人たちもたとえツッコミが多かったんですか?
森本 たとえる人もいましたけど、意外に正統派が多くて、自分の個性を出すのではなく、ちゃんとツッコミをやるという人が多かったですね。ただ印象に残っているのは、ちょうど三四郎さんがライブシーンで頭角を現していた時期で、マセキ芸能社の公式YouTubeチャンネルに、当時としては珍しくたくさんのネタ動画が上がったんです。そこで僕は三四郎さんのネタを見て、「うわ!この人たち面白いな」と思って、養成所のみんなに見せたんです。そしたら次のネタ見せから、ニセ小宮(浩信)さんみたいなボケツッコミが量産されて、全員のフォームが崩れる時期がありました(笑)。