抱えているエゴや不安からかき乱される感情や混乱
――ロケーションはどのように選ばれたのですか?
真利子 賢治とジェーンが住んでいる場所や通っている大学、人形劇の舞台などは、二人の経済的な背景も考えてニューヨークのブルックリンにしました。そこから、このキャラクターたちが生きているであろう動線を、ジェーンの実家も含めて、ニューヨークの地図を見ながらロケハンして決めました。ジェーンの実家はブルックリンのチャイナタウンで撮影したのですが、幾つかあるチャイナタウンの中でも庶民的なところです。なかなか撮影の許可が下りなかったのですが、外に出たら中国語しか聞こえないような環境での撮影は、お芝居にも影響があると思ったので、粘り強く交渉しました。
――賢治の大学もブルックリンですか?
真利子 そうです。プラット・インスティテュートという建築学科がある大学です。もう一つマンハッタンにあるクーパー・ユニオンという大学も出てきますが、数年前までアンソニー・ヴィドラーという賢治が師事している建築史家が学部長をやっていたので撮影させてもらいました。
――ロケーションによってカメラの動きが自在に変化しますが、何か意図があったのでしょうか?
真利子 ロケ地の影響が大きいですね。僕は、人は動かせるなら動かしたいんです。たとえばジェーンの実家は狭いので細かい動きになります。でも動けるところは、できる限りダイナミックにと思ってやっていました。カメラは常にそれに準じて動いています。
――これまでの監督の長編作品に比べると、暴力描写が控えめなのも印象的でした。
真利子 そこまで意識はしていなかったのですが、今回は賢治とジェーンの関係性が重要だったので、殴り合いではなく日々、溜め込んだストレスを描きたかったんです。ワンシーン、賢治がある男と殴り合うところもありますが、描くべきは賢治の迸る感情だったので、そこに焦点を当てて撮らせてもらいました。ジェーンが親の経営する店で強盗に遭うなど、決して穏やかではない毎日ですが、ニューヨークは実際そんな印象で、前半は家族の日常を描いています。ところが中盤で息子が誘拐されると、彼らの日常が一変する。そこからの変化を描きたかったので、確かに直接的な暴力は少ないのですが、抱えているエゴや不安からかき乱される感情や混乱があったと思います。
――映画のキャスティングはどのように行われたのでしょうか?
真利子 全キャスティングを自分の責任の元で決めていきました。メインのお二人は当然ですが、バックグラウンドまで基本的には面接を行い、自分が思い描きたい映画を作るために、隅々まで選ばせてもらいました。たとえば刑事ビクスビー役のクリストファー・マンさんという俳優は、遠方に住んでいたので予算的に考えると厳しかったのですが、オーディションでとても良かったので、他の予算を削って、彼に依頼しました。
――人形劇の劇団員はどのように決めたのでしょうか。
真利子 人形劇はシカゴで出会ったブレア・トーマスさんに指導をお願いして。ブレアさんはシカゴに限らず、ニューヨークでも公演しているし、世界中で活動しているので、彼のネットワークで信頼できる人形師を呼んでもらいました。セリフがある訳ではないので、人形のパフォーマンスが上手い人たちを集めてもらったのですが、俳優として二人お声がけした方がいます。一人は黒人女性でジェーンの友達のヴァネッサ役の方、もう一人は手話をするろう者のジェレミー役を演じたマイケルさんです。脚本を書いているときに、ジェレミーがいるとジェーンの劇団に何らかの効果をもたらすと思って、ろう者の方々をオーディションしました。
――実際にどんな効果をもたらしたのでしょうか。
真利子 ルンメイさんも含めて、みんなでブレアさんの作った人形劇を練習したのですが、その過程で劇団の人たちが一つのチームとして出来上がっていきました。マイケルさんには手話通訳の方が必要でしたが、日本人の自分に英語の通訳がいるのとさほど変わらない。むしろ、お互いが支え合える良い環境になりました。マイケルさんもはじめての人形劇に没頭して、素晴らしい劇団のチームになりました。
――なぜ主人公に西島さんをキャスティングしたのでしょうか。
真利子 西島さんは自分が10代の頃から映画俳優として見ていた方で、いつかご一緒したいと思っていました。今回の映画はアメリカで撮影して、ほとんどのセリフが英語とチャレンジが半端なくて、果たして成立するのかという不安もありました。でも西島さんが賛同してくれたことで、スタッフも他のキャストも安心できました。西島さんは百戦錬磨で、数々の作品に出演していますし、英語も努力を惜しまず、積極的にコミュニケーションも取ってくれて、頼りがいのある存在でした。
――オファーしたときの反応はいかがでしたか?
真利子 最初から面白がってくれました。ちょうど西島さんは海外での活動を視野に独立された頃で良いタイミングだったと思います。自分の過去作も見てくれていて、脚本を読んでもらった上で意見も交換し合いました。西島さんが何かの取材で「年齢は違えど、同級生のようだ」と話してくれていて、初対面でしたが、前から知っているような感覚でした。まあ僕はたくさんの映画で西島さんを見ているから恐れ多いですが(笑)。