小説から離れて「子どもたちの笑顔」にふれて人生の歩き方を悟る
――企業の退職から約1年、2019年5月には処女作『アイドル、やめました。 AKB48のセカンドキャリア』を出版しました。
大木 会社を退職した後は、下北沢の通販会社で段ボールに商品を梱包するお仕事をさせてもらっていたのですが、これが良い人生の休憩期間になりました。そのバイト先は仲の良い友達も何人か働いていたので、生まれて初めて誰とも競争せずに、ただ毎日を楽しみながらお金を稼ぐ体験が出来ました。もちろん、アルバイト生活なので経済的にはキツかったですが、身体に負担がないよう意識して働いて今後の将来をゆっくりと考えて。この小休止期間を経て、「また焦らず自分の道を見つけよう」と思えるようになりました。
同時期、ある本を出版したライターの先輩の出版記念トークイベントがあって「見に来ない?」と誘っていただいて。その場で「実は私も本が書きたいんです。アイドルのセカンドキャリアに興味があるので、もし宜しければ出版社の編集者さんを紹介してくださいませんか?」と先輩の相談したところ、宝島社の編集者の方を紹介してくださって、そこからとんとん拍子に処女作の出版が決まりました。
――そして、処女作からわずか半年。2019年11月には2冊目の『人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした』(祥伝社)を出版して、異例のスピードですよね。どのような経緯があったんでしょうか?
大木 処女作の出版が決まったのと同時期に、私自身のこれまでの実体験を綴ったエッセイを書き上げて配信したら、そのエッセイがその日のうちにTwitterの国内トレンド1位を獲得できたんです。
処女作を担当してくださった編集者さんも、「凄いスピード感ですね」と驚いていました。人は開き直ったとたんに道が開けるといいますか、この頃からミラクルの連続が起きるようになりました。
――芸能界や一般企業では浮き沈みを味わいながら、30歳を前にして天職へたどりついたと。その後、作家としてのターニングポイントはあったのでしょうか?
大木 『人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした』を出版した数ヶ月後、文芸誌『小説現代』(講談社)の編集部の方からTwitterで「一度直接お会いしたいです」といったリプライが来て。自分にそういったお誘いがくるとは思わなかったので、驚きながらその編集者さんとお会いしたのですが、その時に「大木さんは小説を書ける人だと思います。ぜひ何かうちの媒体で書いてみてください」と言っていただき、『シナプス』という小説を書き上げました。この出来事が、大きなターニングポイントだったと思います。
――専業作家となった今、人生における「迷い」はもうありませんか?
大木 ようやく迷いが薄れつつあります。でも、いつも前向きでいられるわけでもなくて。『マイ・ディア・キッチン』を書き上げる少し前も「このまま私は作家としてどうなるんだろう」と悩んでしまい、前に進むのが怖くなった時期があるんです。
そのときは思い切って半年ほど小説を書く生活から離れ、地元にある工作の教室で、子供達に向けて工作を教える先生のアシスタントとしてお仕事をさせてもらいました。いわば、また小休止したんです。そうしたら、そこから価値観がガラッと変わりました。
子供達と一緒に木製のキーホルダーを作ったり、紙コップに工作をしたりしながら過ごすうちに、「人はどうにでも生きていける」と悟ったと言いますか。子どもたちが「大木先生!」と私に純粋なまなざしを向けてくれる時間に、心から癒されたんです。
かつての私は「表に出る者は弱さを出していけない」と思っていましたが、その経験をしてからは、軸さえブレなければ何をしてもいいんだと気が付きました。もちろん今後も作家業に全力で向き合っていくことには変わりありません。ただ、根っこさえ変わらなければ、人は色々な選択をして良いんだということを、子どもたちから教わった気がします。
――キャリアの多様化に伴って、かえって人生に迷う人も増えていそうですが。大木さんの経験は、そんな人たちの背中を押すものだと感じられました。
大木 ありがとうございます。私自身も10代から何度もキャリアに迷っていましたが、今は「自分のやるべきことを積み重ねていけば、なるようになる」と開き直れるようになりました。以前より、少し肩の力が抜けたというか。「人生というのは、ふんわりと、少しずつきっと良くなっていく」と自然体で信じ切れている感覚ですね。
ある日、突然に人生が劇的に好転するような魔法はないかもしれないけれど、それでも自分がコツコツ真面目に積み重ねてきたことだけは絶対に裏切らないと思うんです。
もし今、自分のキャリアに迷う人がいるなら、置かれた場所でとりあえず咲いてみて、状況が変わらなければ手放してもいいと思っています。大切なのは、前向きな気持で手放すことですから。
Information
作品名:小説『マイ・ディア・キッチン』(文藝春秋)
発売日:発売中
人生が愛おしくなるお料理エンタメ――。「ずっと、人に振り回されてきた。私さ、心が空っぽなの。これからはもっと、自分のために生きたい」。元料理人の主婦・白石葉は、夫のモラハラに耐える日々を送っていた。財布の紐、交友関係、食事、体型まで徹底的に管理されてきたが、ある日事件が起きる。家から逃げ出した葉が辿り着いたのは、街の小さなレストランだった。大人気料理家・今井真実さんのレシピつき。
PHOTO:(C)文藝春秋,INTERVIEWER:SYUHEI KANEKO