群馬では「チャンス」をつかめないと思って高校進学と共に“東京”へ
――著書を拝見して、テレビ業界で40年以上のキャリアを持っているとは驚きでした。小学生時代、中山さんの主演ドラマ『静かなるドン』を見た記憶もあります。
中山秀征(以下、中山) ドラマ『静かなるドン』は約30年前ですね。27歳で主演して、今では57歳ですから。あっという間です。
――かつて出演したラジオ『ナインティナインのオールナイトニッポン』では、芸歴を重ねるにつれて「ヒデちゃん」の愛称で呼ばれる機会が少なくなったと語っていました。正直、寂しさも?
中山 松野大介とのお笑いコンビ・ABブラザーズでバラエティ番組『ライオンのいただきます』をきっかけにテレビデビューしたのが17歳で、当時は「ヒデ」「ヒデちゃん」と呼ばれて。いつの日からか、だんだん「ヒデさん」となり、気が付けば「中山さん」になっていました(笑)。でも、近しい方は今でも「ヒデちゃん」で、地元の群馬に帰れば、おばちゃんたちもそう呼んでくれますし、ありがたいです。多少の寂しさはあっても、自然とキャリアを積んだ結果ですから。
――その人生も刻まれた著書のタイトル『いばらない生き方』はいかにも“ヒデさん”らしくて、版元の編集者、マネージャーによる周囲からの提案だったそうですね。
中山 単純なタレント本には、したくなかったんです。サクセスストーリーや自叙伝になっても嫌だし、何かいい言葉はないかと探していたなかで、提案してくれました。素直に、いいタイトルを考えていただいたなと。サブタイトルは「テレビタレントの仕事術」となっているんですけど、芸能界を目指す人だけに向けた著書でもなく、関係重視型のリーダーが求められる世の中にピッタリで、気に入っています。
――40年にわたり、テレビを中心に第一線で活躍されていて。正直、マンネリを感じた時期もあるのか、気になりました。
中山 40年もやっていると、飽きそうですよね。でも、不思議と飽きないんです。つぶしが効かないのもあるかもしれないけど、他の道を考えたことがないんです。5歳で、フィンガー5の晶と「一緒に歌いたい」と思った日から芸能界に憧れて、中学時代には群馬から東京の劇団に通い、高校時代に群馬から東京に上京して夢をつかもうとした当時の思いがずっと、続いている気はします。
――では、芸能界を辞めようと思ったことは一度もなかったと。
中山 なかったです。でも、上京後に不安はありました。当時は高校生でしたし、芸能界へ入るとなると、所属する芸能プロダクションは決まっていて、いつデビューするのか、学校はどこへ通うのかと、親とも話し合って上京するのが一般的だと思うんです。でも、僕は何もなく「東京へ行く」と宣言したので、後ろ盾もなかったです。
――言ってしまえば、勢いだったわけですね。
中山 錯覚、思い込みのような。中学時代に「群馬にいるからチャンスが少ない」と思ったんです。所属していた劇団から「今日オーディションがあるんだ。中山、来られるか」と連絡が来ても、「今からだと、3時間はかかります」と言うしかなかった。「そうか。お前、群馬だったよな」と言われるのが何度もあって、東京へ行けばオーディションをいつでも受けられるし、自分は受かると思い込んでいました。
――高校入学と共に上京とは、親御さんの説得も大変だったのではないかと思います。
中山 1年ほど「東京へ行きたい」と言い続けていたのかな。でも、納得してからは「学生時代の友だちが川崎にいるから」と、のちに上京後に暮らすことになる下宿先を紹介してくれたんです。振り返ると、なぜあのタイミングで上京を考えたのか分からないんです。でも一つ、中学3年生で地元の公立学校へ通ってしまったら「あと3年はかかる」と思ったのはあって、群馬にいながらチャンスを探っているのは耐えられなかったし、真剣でした。