プライベートで芸人さんのトークライブに出演していた

──和田さんが映画『くすぶりの狂騒曲』で演じるのはタモンズの大波康平さんですが、オファーがあったときのお気持ちはいかがでしたか。

和田正人(以下、和田) いつかお笑い芸人さんの役をやりたいと思っていたので、ついに来たかと率直にうれしかったです。それと同時にプレッシャーもありました。現役の旬な芸人さんなので、リアルタイムで比較されるわけじゃないですか。似ているかどうかというのもありますし、タモンズさんのファンの方から、「私たちの応援してきたタモンズじゃない」と言われる可能性もあります。これまで、いろんな役を演じてきましたが、何とも言えないやりづらさみたいなものがありました。

──タモンズにはどんな印象を持っていましたか。

和田 実は今回のお話をいただくまで、大宮セブンとタモンズさんの存在を知らなかったんです。出演が決まってから、勉強しなきゃということで、劇中でやるネタの映像を見たんですが、その頃のタモンズさんはめちゃくちゃ尖っていて、お客さんに全く寄せてなかったんですよね。尖りに尖ったネタだったので、正直面白いと思わなかったです(笑)。

──ぶっちゃけますね(笑)。

和田 そんなこんなで映画の撮影も終わり、今年4月に沖縄国際映画祭で『くすぶりの狂騒曲』を初お披露目して、舞台挨拶中に「THE SECOND」の決勝進出者が発表されたんです。タモンズさんが進出したということで盛り上がって、帰りの空港で配信を観たときに、腹を抱えて笑いました。映画で描かれていた頃から今まで「何があったんだ?」というぐらい面白くて、洗練もされていて。もう腹を括ったかのような吹っ切れ方で爆発していて、めちゃくちゃ楽しそうだったんです。『くすぶりの狂騒曲』で描かれていた時代から、時間を経て、ここに凝縮されていたんだと映画の先を想像できる結果だったので、夢を追いかけるのは美しいなと思いました。本当は映画公開するまでタモンズさんにはくすぶり続けて欲しかったんですけどね(笑)。

──和田さんの漫才の再現度も素晴らしかったですが、フリートークの間合いも含めて面白くて。どこかでお笑いを学んだことはあったんですか?

和田 そもそも僕はM-1グランプリが大好きで、俳優になる前の2003年、前年に出てきたWボケの笑い飯さんを生で見たくて第3回大会の一般観覧に当選して、決勝を見に行っているんです。大感動でしたね。

――それはすごい!俳優デビュー後も、芸能人の観覧枠でM-1グランプリの決勝を見られていますよね。

和田 2010年ですね。お笑いファンの重鎮・大林素子さんと仲良くなって、実は僕もM-1グランプリが好きなんですというお話をしたら、「関係者に伝えとくよ」と言って、第10回大会の決勝に連れて行ってくれたんです。しかも大好きな笑い飯さんが優勝するという記念すべき大会でした。それぐらいお笑いが好きなのと、僕が30歳過ぎのときに「クイズ!ヘキサゴンII」が大ブームで、羞恥心を筆頭に俳優たちがユニットを組んで、バラエティに出てバコーンと売れて、そこからドラマの仕事をバンバンやり始めたんです。それが羨ましかったんですよね。

――それまでにないブレイクの形でしたからね。

和田 そのときにバラエティをきっかけに、やりたいお芝居の方向に進むルートもあるんだと思って。僕もくすぶっていた時期でしたからね。そのタイミングで「ザ・ベストハウス123」というロンドンブーツ1号2号さんが司会の番組に隔週レギュラーという形で出させてもらえる機会があったんです。僕の所属するワタナベエンターテインメントはお笑い芸人さんがたくさんいて、毎月お笑いライブも開催しているので、だったら学ばせてもらおうと思ってライブに行って、呼ばれてもないのに打ち上げに行って、そこで芸人さんと仲良くなりました。

――すごい行動力ですね!

和田 さらに仲良くなった芸人さんがトークライブも開催していたので、「僕も出させてください」とお願いして、毎月参加してステージ上ですべらない話みたいなものをやらせていただく時期もありました。その経験があったから、何となくお笑い芸人さんとのやり取りや間合いが染み付いていたんです。

――だから芸人さんと比べても遜色がなかったんですね。

和田 最後のライブシーンも台本なんですが、生っぽくやりたいからとカット割りをしていないんです。お客さんを満席で入れて、一発勝負でやっているから、生の舞台感がある。台本上の設定は保ちながらも、生に近い形でやることを目指して作り上げたので、僕ら役者にとってもリアルに大宮セブンの集大成なんです。だからツッコミのタイミングも自分の感覚でやっていました。