歌を始めたのはトラック制作で仮歌を入れるためだった

――キャリアについてお伺いします。音楽活動を始めたのは、いつ頃ですか?

lecca R&Bやソウル、ヒップホップが大好きで、確か15歳ぐらい、中3か高1で友達と一緒にDJを始めたのが最初で。友達と遊び感覚でパーティーをしていました。

――当時は日本のヒップホップが盛り上がりを見せていた時期ですよね。

lecca そうですね。でも私は先ほどお話したように、デジタル・アンダーグラウンドのような、モフモフしたスモーキーなヒップホップが大好きで、レコードを買って聴いたときに、「こんな音楽があるのか!」とゾクゾクしたんです。

――当時はどうやって音楽の情報を仕入れていたんですか。

lecca みんなでミックステープを作って渡し合うのが流行っていたので、自分でレコード屋さんに行って、見つけてきた曲を「こんなかっこいい曲があるんだよ」って渡したり、逆に渡してもらったり、そうやって輪を広げていくのが楽しかったんです。

――クラブにも出入りしていたのでしょうか。

lecca 未成年なので、遅い時間には行けなくて。当時、早めの時間帯にクラブを借りて、中高生だけで遊ぶというのが流行っていたので、そういうパーティーに行ってました。友達同士、身内で楽しんでいましたね。

――いつ頃から本格的な音楽活動を始めたのでしょうか。

lecca トラック制作のスキルをつけたくて、大学1年生のときに、ミュージックスクールに通い始めました。そのスクールにはプロの歌手になりたい人もたくさん通っていて、そこからミュージシャン志望の友達が増えていきました。

――早稲田大学を卒業されていますが、大学にはブラックミュージックに特化した有名な音楽サークルもありますよね。

lecca 一応見学に行ったんですけど、私の時代はイベサーみたいになっちゃっていて、チャラ過ぎて入りませんでした(笑)。

――いつ頃から自分で歌おうと思ったんですか。

lecca そのスクールでトラックを作って仮歌を入れるときに、自分の歌声で入れなきゃいけなかったので、ボイストレーニングもやったんです。その後、音楽理論を学ぶクラスも取ったんですけど、メインでやったのはボイストレーニングですね。

――レゲエに興味を持ったのは、もっと後なんですよね。

lecca 22歳ぐらいですね。生まれて初めてお世話になった事務所にPANGちゃんとMEGARYUがいたんですけど超ちっちゃい事務所で。一人の方がプロデューサー、ディレクター、マネージャーを兼ねていたんです。それが過去に『レゲエ・マガジン』の編集長をやられていて、「レゲエジャパンスプラッシュ」を初めて開催した加藤学さんでした。その方にレゲエの魅力を教えていただくうちに、「レゲエって素晴らしい」と思うようになって。今も勉強中ではあるんですが、自分をレゲエアーティストとは思っていないので、分からないこともたくさんあります。

――10年前ぐらいのleccaさんのインタビューで、レゲエは選挙演説に通じるものがあるみたいなことを仰っていたのが印象的でした。

lecca 当時行ってたレゲエのフェスで、FIRE BALLのTRUTHFUL(a.k.a. STICKO)とかが、MCでエデュケートしてくれたというか。ファンや聴衆が求めているかどうかではなくて、それを言う必要があるということを言ってくださって。曲よりも長くMCをするというスタイルをレゲエのフェスで初めて経験したんです。しかも、そういうアーティストが大半で。曲を聴かせるよりも、喋りを聞かせるぐらいの勢いだったんですが、それも楽しかったんですよね。しかもヒップホップのように、誰かを傷つけたり、嘲笑ったりするようなMCが比較的少なくて、愛があったり、みんなを持ち上げたりするようなMCが多かったので、すごく考えさせられるし、勇気ももらえました。そこに選挙演説と通じるものを感じたんだと思います。

――ヒップホップのディスりあう文化には抵抗感があったのでしょうか。

lecca すごくありましたし、今でも苦手です。私の師匠にあたる方に、アメリカでラップを教えてもらっていた時期があるんですが、まず目の前の人をディスる練習をしてみようみたいなことを言われて。とにかくやりたくなかったですし、全然馴染めなかったですね。よくヒップホップのイベントに出ていたときも、本当に治安が悪くて、特に女の子は危険な目に遭うことも多くて。「当時は本当にしんどかったよね」っていう話しを、よく女友達と振り返っています。