テレビタレントの肩書きを名乗るのは変幻自在の「テレビ芸人」だから
――群馬からの上京後は、下宿先で「栄養失調」に陥る苦労もあって。翌年、16歳で現在所属する渡辺プロダクションに入ります。
中山 下宿先の川崎で「チャンスを待っていても仕方ない」と思い、オーディション雑誌『デ・ビュー』を読み、片っ端から大手プロダクションを受けたんです。その一つが渡辺プロダクションで、最初は「第2の吉川晃司を募集」と書かれていたオーディションに応募して、歌手志望、アーティスト志望で事務所に入ったんですけど、言ってしまえばきっかけは何でもよくて、突破口を切り開きたかったんです。
――その後、お笑いコンビ・ABブラザーズとして、ライブやテレビで活躍されました。
中山 歌で入ったはずなのに、レッスンを重ねるにつれて「歌は向いてない」と言われてしまったので(苦笑)。芝居のレッスンにも回されたけどそれもダメで、事務所に入ってわずか3ヶ月ほどで行き場を失った時期に、のちに十年来お世話になるマネージャーの関口雅弘さんから「事務所にお笑い部門を作る」と聞いたんです。テレビはこれから「バラエティの時代になる」と力説してくれて、「お前がやりたい歌や芝居は、バラエティで天下を取ったら必ずできるから」という関口さんの言葉には説得力があったし、わらをもすがる気持ちでお笑いに挑戦しました。
――とにかく「スター」を目指すために、必死だったと。
中山 何でもいいと言ったら語弊がありますけど、僕は「テレビに出たい」という気持ちが一番だったんです。でも、歌やドラマならばまだしも、お笑いは考えていなかったですね。事務所にお笑い部門ができたのは1983年で、当時はお笑い芸人志望、放送作家志望の人材を募集していて。ホンジャマカの石塚(英彦)くん、今や人気作品を数多く手がける大先生の三谷幸喜さんもいました。カッコいいお笑いをモットーに、まさしくお笑いの英才教育を受けて、ネタ作りやフリートークなどを日替わりで学んでいました。
――共にABブラザーズを結成したかつての相方、松野さんともそこで出会ったんですね。
中山 そうです。世代が近いからとコンビを組み、松野がA型、僕がB型なので「ABブラザーズにしよう」と、コンビ名は単純な理由で決めました(笑)。SHIBUYA109にあったライブハウスで、女子中高生の子たちを前にネタを披露して、小堺一機さんが司会のバラエティ番組『ライオンのいただきます』のアシスタントとして、自分で言うのもなんですけど、大ブレイクしたんですよ。ライブでもお客さんが集まって、ダンスを踊って、ネタを披露して、出演するお笑い芸人たちで集団コントをやり、ダンスで締める2時間のステージも人気でした。それが栄誉失調になった翌年とは、信じられないほどです。コンビで『オールナイトニッポン』も任されて、順風満帆でした。
――ただ、コンビ結成5年目でウッチャンナンチャンやダウンタウンなどのいわゆる「第3世代」のお笑い芸人の波に飲まれ、先ほどの関口さんから「中山、負けを認めろ」と言われたと、著書で明かしていました。
中山 20歳の頃でしたね。当時、ランキング形式のお笑い番組で第3世代と共演して、打ちのめされました。じつは、僕らはテレビタレントとしての意識が強かったのもあり、ネタを作っていなかったんですよ。昔作ったネタをちょっとアレンジしたネタを披露して、でも、他のお笑い芸人は天下を取ろうと本気ですから、きっちりネタを作ってくるわけですよね。次第に、番組内のランキングで、ウッチャンナンチャンやダウンタウンが上位へと食い込むようになり、自分たちにキャーキャー言ってくれたお客さんの目線が変わってきたのも感じて「これはマズイ」と思い、ネタ作りをはじめたときには手遅れでした。
――当時の経験は、挫折だったのでしょうか?
中山 テレビに出たいのが一番だったので、挫折と言ったらそうではなかったかもしれません。でも、悔しさはありました。当時、お世話になっていた関口さんからは、ウッチャンナンチャンやダウンタウンは「コンビの志が一緒だから勝てない」と言われたんですよ。さらに「もういい、お前たちは自分の道を歩け」と言われて、負けを認めたくなかったけど腑に落ちたし、コンビを解散して、松野は放送作家として、僕はピンで芸能界に残ることになりました。
――結果、バラエティ番組を中心に活躍する現在への礎となったんですね。著書で一つ、気になったのが肩書きで。「テレビタレント」と自称されていますが、こだわりが?
中山 昔はあえて名乗ろうとは思っていなかったんですけど、最近は変わってきて、名乗りたい気持ちも出てきました。僕の考えでは、細かく言うと自分の仕事は「テレビ芸人」なんです。テレビに出れば自由気ままに、歌も芝居も、司会もやって。ドリフターズの「もしもシリーズ」のように、変幻自在ながらもテレビが商いの中心になりますし、一番しっくり来る、ふさわしい肩書きかなと思っています。