朝ドラの撮影で部活に打ち込んでいた高校時代の感覚が蘇ってきた

――これまでのキャリアについてお伺いします。この世界に入ったきっかけを教えてください。

出口 大学に進学したんですが、人間関係が上手くいかなくて半年ぐらいで中退したんです。それでフリーターをしていたんですが、22歳になると周りが就職し始めて、一緒に遊ぶ友達も減っていって。これはヤバいなと思ったときにオーディションを見つけて、他にやりたいこともないし試しに受けてみようと思ったんです。

――それまで芸能に対する興味はなかったんですか。

出口 多少はあったんですが、本気でやろうと考えたことはなくて。地元の大阪でスカウトを受けたこともあったんですが、怪しいなと思って断っていました。そのときのオーディションも書類審査に通って、二次審査の会場に行こうとしたんですが、ラブホ街に迷い込んでしまい少し怖くなり、そのまま帰ったんです(笑)。そうしたら事務所の方から連絡が来て、「何で来なかったんですか?」と聞かれたので、素直に理由を話したら、「オーディションは終わっちゃいましたけど一度面談しませんか」と言ってくださり、面接を受け、事務所に所属することになったんです。もしもオーディションに参加して落ちていたら、そこで芸能の道は諦めていたかもしれません。

――事務所に入って最初のお仕事は何だったんですか。

出口 関西ローカルで放映していた朝の情報番組のリポーターです。

――その時点で俳優になりたい気持ちはなかったんですか?

出口 特になかったです。どういう選択肢があるのかも分からなかったので、何になりたいという具体的な目標もなかったんです。そんなときに連続テレビ小説「べっぴんさん」のオーディションを受けたら合格して、小さい役ですけど出演することができました。そのときに、こんな道もあるんだと知ってお芝居に興味を持ちました。

――どういうところに興味を持ったのでしょうか。

出口 高校生のときに部活でマーチングバンドをやっていて、私はオーボエを担当していたのですが、大会に向けて、たった6分間の出番のために何カ月もかけて命をかけて練習するんです。そうやって、みんなで力を合わせて一つのものを作るのが大好きだったんですが、初めてドラマに出たとき、ちょっと似ているなと感じたんですよね。事務所に入って一年経ったタイミングで上京したんですが、東京に出てきて初めて受けた舞台のオーディションに合格して出演したときも、マーチングバンドの頃の感覚が蘇ってきて。徐々にお芝居にハマっていきました。

――なぜ上京しようと思ったのでしょうか。

出口 大阪にいると、お仕事の幅が狭くて、オーディションの数も少なかったんです。それに所属していた事務所の関西支社はモデルとアーティストの部署しかなかったので、東京に出たら、もっと仕事の幅が広がると思ったんですよね。

――上京してからグラビア活動も始めますが、どういうきっかけがあったのでしょうか。

出口 事務所に上京したいと伝えたら、ちょうどグラビア部門を強化しようとしていた時期だったみたいで、グラビアを勧められたんです。私はリポーターの仕事でプールなどのロケもしていたから、水着になることに抵抗がなかったんですよね。それでグラビア活動を始めたら、ありがたいことに、たくさんの雑誌に呼んでいただけるようになりました。グラビアを始めてからフォロワー数も一気に増えましたし、昨年は3冊目の写真集も出させていただいて、グラビアをやって良かったです。