高校時代に所属した劇団で役に対しての向き合い方を学んだ

――中学生の頃から、演技レッスンに通っていたそうですが、お芝居に興味を持ったきっかけは何だったのでしょう。

三輪晴香(以下、三輪) 祖父が演劇好きで、小さい頃から舞台に連れて行ってくれたんです。おうちでも祖父は、いつもドラマや映画を流していて、私も一緒に『必殺仕事人』や『遠山の金さん』などの時代劇を楽しんでいました。祖父は「俺が若くて、もっとかっこよかったら、役者をやってた」みたいなことを言ってて。もう亡くなってしまったんですが、その影響は大きかったと思います。

――小さい頃から俳優になりたいと思っていたのでしょうか。

三輪 はっきり役者になりたいとかではなかったんですが、歌を歌ったり、ダンスを踊ったりが好きだったので、自分を表現できる何かをお仕事にしたい気持ちは漠然とありました。それで中学生のときに事務所の演技レッスンに通って、同時期に日本舞踊も習い始めました。高校1年生からは大阪の劇団に所属して、高校に通いながら3年間、舞台漬けの毎日でした。

――演技レッスンに通い始めた時点で、お芝居の楽しさを感じていたんですか?

三輪 喜怒哀楽が激しい役などを演じるのが楽しかったですし、やりがいも感じていました。

――高校生で大人のいる劇団で活動するのはいかがでしたか。

三輪 一つの作品をみんなで作り上げるという強い思いが感じられましたし、私もそういう気持ちになれましたし、その劇団で役に対しての向き合い方を学んだと思います。

――高校卒業後は上京すると早い段階で決めていたんですか。

三輪 早くから友達には言っていたみたいですし、東京に行かなきゃ何も始まらないみたいな気持ちがありました。ずっと滋賀の田舎で育ってきたから、すごく東京がキラキラして見えたんですよね。

――ご家族は賛成だったんですか。

三輪 母は「行って来い!」と応援してくれました。うちは母子家庭だったんですが、たくさんの習い事をさせてくれたんです。習い事ってお金がかかるから、朝から晩まで母を働かせてしまったんですが、いつでも私のことを応援してくれたんですよね。それは役者を目指して上京するときも変わりませんでした。

――上京する際、何かあてはあったんですか。

三輪 上京する前にオーディションを受けて、劇団に所属しました。東京に出たいという思いはありましたけど、おうちもないし、お金もないし、不安要素はいっぱいあったんです。でもワクワク感というか、「よしやったるぞ!」という思いのほうが強かったです。

――当時はグラビア活動も行っていたんですよね。

三輪 劇団からオーディションの話を聞いて、まだ若くて、何の経験もないし、いろんなことを経験したほうが絶対にいいと思って挑戦しました。グラビアと同時にアイドル活動も2年近くさせていただいたんですが、人前で歌ったり踊ったりという経験ができたのは今の活動にも活きています。もともと緊張しやすいタイプなんですが、場数を踏ませてもらったので、舞台度胸がつきました。

――劇団の活動もある訳ですから相当お忙しかったのでは。

三輪 毎週ライブがありましたからね。公演があるときは劇団を優先していたんですが、あの頃はバタバタでした。

――思うような活動ができず、夢を諦めかけた経験はありますか?

三輪 何度もありましたし、挫折も経験しました。特に節目となる25歳を迎える前は、いろいろ悩みました。そんなときに思い出すのが、祖父と母の存在なんですよね。お芝居は祖父がやりたいことだったんだから頑張ろうとか、母が女手一つで育ててくれたんだから夢は諦められないなとか。家族の応援があったから、私だけの気持ちだけで辞めることはできないなと。それに、なんだかんだでお芝居が好きなんですよね。落ち込んでいるときでも舞台を観に行くと、自分が演じたいという気持ちになりますし、ずっと好きなことは続けていきたいと思うんです。

――三輪さんが25歳を迎える前後は、ちょうどコロナ禍で舞台も中止になっていた時期ですよね。

三輪 そうでした。本当にヤバい、これは生活できないと毎晩泣いていました。そのときにライブ配信のお話をいただいて。最初は不安もあったんですが、始めてみるとおしゃべり好きな自分に合っていたみたいで、やって良かったです。

――昨年9月からTWIN PLANETに所属していますが、意識の変化などはありましたか。

三輪 お仕事の幅も広がりましたが、とにかく活気がすごいんです。所属している方々と顔を合わせる機会もあるんですが負けてられないな、もっと頑張らなきゃと、いつもパワーをもらっています。