『零落』は漫画家・浅野いにおさんに向けたラブレター

――浅野いにおさんの『零落』のどんなところに惹かれて映画化したいと思われたのでしょうか?

竹中直人(以下、竹中) ふらっと立ち寄った本屋さんで、ふと目にした「零落」というタイトル、そして帯に描かれた猫顔の少女の瞳に惹かれ手に取りました。そして最後のページを閉じた時……夜の歩道橋に、「零落」というタイトルが筆文字で表れる画が浮かんだんです。「零落」を絶対に映画にしたい……!と心が叫びました。

――監督から直接、浅野さんに映画化のオファーをされたのでしょうか?

竹中 そうです。僕のラジオのゲストにお招きして、「《零落》を映画にしたいんです!」とお伝えしました。【君は何も分かってない…】というラストの言葉に、涙が出るほど切なさを感じて……。《零落》を映画にしたら、いにおさんはどう思ってくれるだろう……。その思いだけで突き進んでゆきました。この映画は、いにおさんへのラブレターです。『ソラニン』や『世界の終わりと夜明け前』もそうですが、いにおさんの世界観はどれも素敵で、「映画にしたい!」と思う作品が多いですね。

――浅野さんから「漫画作品で映画を作る時は、出版社を通すものですよ」と言われたそうですね。

竹中 そうです。深く反省しています。あの時は無我夢中で、今考えると本当に必死でした。いざ作品を撮るとなった時、いにおさんから「これは違う」と言われたらどうしようと不安でした。まずは自分で撮影台本を書いて、いにおさんに確認しました。ロケハンも早め早めに行い「いにおさん、こんな感じの雰囲気で、こういうロケーションで撮りたいです」と、ロケハンの写真もたくさん送り続けました。いにおさんはそれに対して必ずお返事をくださいましたが……。

――監督の熱意に浅野さんが押された形で実現したのですね。

竹中 いにおさんにご連絡すると、いつも「いいですね。いいですね。」とお返事して下さいました。でも実際はお疲れだったと思います。本当にご迷惑をおかけしました。

――浅野さんは『ソラニン』などの青春ものを描く一方で、『おやすみプンプン』『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』といったシュールな作品もあります。

竹中 でもいにおさんの作品はその裏に、どこかダークな匂いを秘めていて、その闇の部分に惹かれます。

――そういう部分も含めて映画化したいと思われたのですね。

竹中 ですね……。つげ義春さんの『無能の人』も、以前に撮った大橋裕之さんの『ゾッキ』も、漫画が原作ですが、何処か共通する世界観があります。決して前向きではない、闇を抱えた私小説的な世界を感じます。それが自分のイメージを膨らませてくれます。

――映画のキービジュアルに海のシーンが使われています。

竹中 原作に海は出て来ませんが、海は最初からイメージとしてありました。ふと気づくと、僕の監督する映画は何故か海がよく出てきますね……。今回はシーンのつなぎ目や時間経過に、黒味(※真っ暗な画面)やフェードアウトを使わずに、真っ黒な海を映画の中に散りばめたかったんです。そこに理由はありませんが。

――ロケ地に横浜の福富町を選んだ理由を教えてください。

竹中 昭和の世界観がまだ残っている街だからです。きっと深澤とちふゆの世界を深めてくれると思いました。

――ちふゆと深澤が逢瀬に使っているホテルはどうやって見つけたのですか?

竹中 一番衛生面に気をつけているラブホテルを制作部に探してもらいました。ラブホテルの室内はネオン管を吊るしたり、カーテンをつけたり、自分の友達の画家に絵を描いてもらったり、全てこちらで飾り付けしています。その他のロケ地は、過去に映画やテレビのロケで印象に残った場所を選んでいます。僕が多摩美(※多摩美術大学の略称)時代に住んでいた国分寺の街でも撮影しました。当時の彼女とよく待ち合わせした喫茶店がまだ残っていて、そこでも撮影しました。45年前と全く変わらずお店は存在していて、美術は飾り込みもほとんどせずにそのまま撮影しました。

――監督の思い出もかなりかなり散りばめられているんですね。

竹中 ですね……。僕の多摩美時代の彼女が好きだったクリームソーダと玉城(ティナ)さんのショットは遠い遠い昔の恋です。