頭の中で鳴っていたものが、本物の音として鳴っている感覚
――どうやってcherieのメンバーを集めたんですか。
おざき ネットの掲示板でドラムを探して、柊平(しゅうへい)から返信が来て、サイゼで会って一緒にやることになりました。
――最初にドラムが決まるのは珍しいですね。
おざき そうなんですよね。後々、ドラムを探すのが一番難しいって言われました。そこから二人で活動を始めて。タクミは楽器屋の客で、めっちゃベースが上手そうな顔をしていると思ったんですが、「ギターを弾かせてください」と言ってて。「あれ?」と思ったら、「本当はベースを弾いているんですけどね」って言うから、「きた!」と。僕にはバンドをやる上で理想像みたいのがあって、「ベーシストは一番のイケメンであるべきだ」と。ひょろひょろでシュッとしてて、骨格が分かるような(笑)。ベースのテクニックよりも見た目を重視していたんです。まさにタクミは理想通りのルックスだったんですよね。
――ギターのりゅうたさんは、どうやって知り合ったんですか。
おざき その前に別のギターがいたんですが辞めちゃって。りゅうたはタクミの小学校からの友達で、家も近くて、ギターがめっちゃ上手いと聞いて、入ってもらいました。
――スリーピースという選択肢はなかったんですか。
おざき 絶対に4人組と決めていました。スリーピースだと真ん中に立てないですからね(笑)。それに僕はギターが下手だったので、今の形態になりました。
――どういうきっかけでライブハウスに出るようになったのでしょうか。
おざき 1個上の先輩の紹介でライブを観に行ったとき、「ライブやる場所を探しているんでしょう?この日やるから出ていいよ」と言われたんです。「出ます!」と言ったはいいものの、まだオリジナルが1曲しなかったので、慌てて曲を書きました。
――カバーをやろうとは思わなかったんですか。
おざき 名古屋でやると決めた時点で、全曲オリジナルでいこうと思っていました。それで名古屋で初ライブをやって、その人のおかげでライブハウスのツテができました。
――他のメンバーが曲を書くこともあったんですか。
おざき 結成当時から曲を書くのは僕だけです。僕が弾き語りで歌っているのを携帯で撮影して、それでコードを見れるようにした動画をりゅうたに送って。こういう感じのドラムを入れてほしいみたいな指示を出して、それをりゅうたがDTMで作って。できあがったものを二人で確認してから、あとの二人に送る。りゅうたが加入してからは、ずっとそのやり方なんです。
――りゅうたさんの加入がターニングポイントになったんですね。
おざき りゅうたはギターだけじゃなくベースとドラムもできるし、DTMも使えるし、音楽理論も詳しいし、やりやすくなりましたね。僕はコードも理論も分からないけど、常識にとらわれないことが一つの武器だと思っているので、それを上手くりゅうたが調整してくれます。それによって曲作りも変化しました。
――ちなみに名古屋のバンドシーンってどんな感じなんですか。
おざき 狭い街なのに、めっちゃバンドの数が多いんですよ。東京と大阪に負けないぐらいいますからね。だから、みんな顔見知りで。
――いつぐらいからファンが増えていったんですか。
おざき 2022年12月に1st配信シングルの「変わらないで」を出して、一部にTikTokで使ってもらって。それから4か月連続でシングルを配信リリースしたんですが、翌年1月に出した「降り注げよ、ロマン!」で、ちょっと知ってもらえたかなという実感がありました。その流れを止めないようにと連続配信リリースが終わった5月に初めての東名阪ツアーをやって、そのタイミングで今の事務所に声をかけてもらいました。
――事務所に所属したい気持ちはあったんですか。
おざき 特になかったというか、事務所に所属したから何が変わるとか、何をしてもらえるのかが分からなくて。他の事務所からも声をかけていただいたんですが、無所属でやっている人も多いし、何のメリットがあるのか分からなくて断っていたんです。でも、いまの事務所の方は、「何をしたいの?」と聞いてきて、僕が「めっちゃいい音でレコーディングしたいです」と言ったら、「分かりました」と。
――実際レコーディング環境はどうだったんですか。
おざき めっちゃ良かったです。頭の中で鳴っていたものが、本物の音として鳴っている感覚でした。僕らも分からないことだらけでしたが、アレンジ面のアドバイスも的確でしたし、俺らは一つの方向しか見られてないけど、客観的に見てくれるので「確かに」と思うことばかりでした。