ハロプロ研修生加入秘話“ダンスが人生”だった秋山と“ロマンチックな一面”を併せ持つ豫風
――ハロプロ研修生を経て、つばきファクトリーへ加入した秋山さんと豫風さん。そもそもなぜ、アイドルの世界に飛び込んだのでしょうか?
秋山 小学6年生でハロプロ研修生になって、お披露目は中学1年生でした。元々、アイドルに興味はなかったんです。親からすすめられてオーディションを受けたのがきっかけで、ハロー!プロジェクトへ入るまでは空手も習っていました。
――空手を習っていたとは、意外でした。
秋山 本当はやりたくなかったんです…。お兄ちゃんが習っていたのでその流れで、泣きながら出場した最初の試合で準優勝したのは覚えています(笑)。
――すごい(笑)。幼少期から、ダンスも習っていたんですよね。
秋山 私の人生は、ダンスで埋め尽くされていると言ってもいいです。4〜5歳の頃、お母さんといっしょにダンス教室の“ママさんクラス”で習いはじめて、海外の先生のワークショップにも通ったし、小学校の夏休みは昼から夜までスタジオにずっとこもっていました。どれほどきつくても辞めなかったのは、好きだったからですね。ハロー!プロジェクトに入ってからは、慣れないアイドルの世界に不安やとまどいもあったし、オーディションを受けなかったら性格が違っていたかなと思うんです。でも、愛のあるメンバーと出会えたのがうれしいし、今の自分もすごく好きです。
――つばきファクトリーはもちろん、ハロプロダンス部でも当時の経験が役立っています。
秋山 ダンス教室ではガールズヒップホップ、ワックダンス、ジャズダンス、レゲエダンス…と様々なジャンルを習っていたんです。自分の好きなものを生かせるのはすごく幸せですし、すべての経験に誇りを持っています。
――かたや、豫風さんにはどのようなルーツがあったのでしょう?
豫風 ハロプロ研修生になったのは小学6年生になったときで、お披露目は夏から秋にかけてでした。あきゃまさんと似て、私もアイドルを知らなかったんです。お母さんが「受けてみたら」とすすめてくれたのが、きっかけでした。ハロー!プロジェクトに入る前、市民ミュージカルでのステージ経験はあって、みんなで演じるのが楽しくて。音楽も好きで、カラオケにはよく通っていたので、今、こうして音楽がお仕事になっているのがうれしいです。
――過去にお話を伺ったとき、小学校時代には歩道橋から流れ行く車を見ていたと、ロマンチックな一面も明かしていました。
豫風 昔から、きれいな景色をボーッと眺めるのが好きだったんです。放課後に通っていた学童の帰り、友だちと分かれて私だけ歩道橋で立ち止まって、ちょっと暗くなる時間帯に車のライトが伸びていくのをずっと見ていて。白い光と赤い光が交互に変わっていくのを、ひたすら見比べていました。
秋山 そんなこと考えてなかった。小学校時代は「早く帰ろう」みたいな。そんな子、いなかったです。
――素敵な感性ですよね。そして、それぞれ異なる経験をもって、ハロプロ研修生へと加入。グループで活躍する今、ハロプロ研修生で学んだから「これができる」と胸を張っていえるものは?
豫風 リズム感は鍛えられました。元々、ガッタガタでリズムをまったく取れなかったんです。1小節に“タタタタ”のリズムが4個あり、16ビートになっていると知って、体になじんでからは狂わずにリズムを取れるようになりました。ハロー!プロジェクト以外の曲も、メロディーを楽しむだけでしたけど、ドラムの音に意識が向いたり、リズムも楽しめるようになってからは音楽がより好きになったんです。
秋山 リズム感はもちろん、礼儀もですね。言葉の使い方を教えていただいて、中学生ながらも「承知しました」とか、敬語を使えるようになったんです。忘れ物をしたら自分から言いに行ったり、間違えた歌詞をマネージャーさんに報告したり、人として、プロとして当たり前のことですけど、ハロプロ研修生で叩き込まれたからこそ、今できると思うんです。中学時代には、職員室へ入るときに「失礼します」とちゃんと一言置いていたので、同級生には大人ぶってるように見られていたかもしれません(笑)。
豫風 スクールバスの運転手さんには「お願いします」ときちんと挨拶できるようになったし、朝じゃないのにクセで「おはようございます」と言ってしまうんですよね(笑)。
秋山 めっちゃ分かる(笑)。廊下で先生とすれ違ったときに「おはようございます」と言っちゃうんです。でも、ハロー!プロジェクトで生きてきたからこそ、人として大切なものをたくさん教わりました。