『ニコラ』の撮影を通して自主性を鍛えられた

――キャリアについてお伺いします。この世界に入ったきっかけから教えてください。

川床 小学6年生のときに『ニコラ』という雑誌のオーディションでグランプリを獲ったのがきっかけなんですが、応募した理由は芸能界というよりも、『ニコラ』が大好きで、その中に自分も入りたかったからでした。その時点でお芝居をしたいという考えはなかったです。ただ、事務所のレッスンでお芝居をやってみて、上手くできないことに対する悔しさというのが、それまで感じたことのなかった感情だったんですよね。それが気付いたら楽しさに変わっていったんです。

――『ニコラ』のどこに惹かれたのでしょうか。

川床 おしゃれに目覚める年齢でもありましたし、ちょっと上の世代のニコラモデルの方々が、すごくキラキラしていて、憧れだったんですよね。当時、私の年齢でスマホを持っている子は少なかったですし、今以上にファッション誌は特別なものでした。よく『ニコラ』で読んだ知識を、「今はこれが流行っているんだよ」って知ったかぶりをしていましたね(笑)。ちょっと、おませさんだったかもしれません。

――なかなか地元にいると、欲しいブランドは買えないですよね。

川床 そうなんです。だから地元のショッピングモールに入っている、「ハニーズ」によく行ってました。

――オーディションに応募するとき、ご家族の反応はいかがでしたか。

川床 「面白そうじゃん」みたいな感じで好意的でした。

――グランプリを獲ったときのお気持ちはいかがでしたか。

川床 もちろんうれしかったんですが、未知の世界だったので怖さもありました。自分の人生が大きく変わろうとしているんだと感じていましたね。

――実際にニコラモデルになってみての感想は?

川床 ただ『ニコラ』が好きで受けたので、モデルになりたかった訳ではないんですよね。でも周りの子たちは、ニコラモデルになりたくてなった子たちばかりだったので、取り組む姿勢が違っていて。みんなポージングもすごく練習しているんです。私だけ、かわいいお洋服を着せてもらって、メイクをしてもらって、新しい友達もできて、ただただ楽しい、みたいな。そしたら全然呼ばれなくなったんです。

――編集の方も、すぐに察知したんですね。

川床 それが悔しかったんですよね。一緒にグランプリを獲った子たちは、誌面にたくさん出ているのに、私は2ページだけ。もともと負けず嫌いな性格なので、すごく悲しくて、そこからたくさん練習しました。ポーズが数パターンしかなかったので、雑誌を切り抜いてノートに貼って、毎日鏡を見ながら練習するようになりました。ある種、部活のような、努力や変化が評価される場所だったので、頑張った分、結果に繋がりました。

――『ニコラ』の撮影現場はどんな雰囲気でしたか。

川床 そこも部活に近くて、すごくアットホームでした。マネージャーさんは現場に来てはいけなかったので、一人で撮影場所に行って、お仕事をして、飛行機で地元に帰ってと、何もかも自分でやる決まりがあったんです。当時はアミューズに所属しているというよりも、『ニコラ』に所属している感覚でした。そのときに自主性を鍛えられましたね。

――その一方で、お芝居のレッスンも受けて、どんな意識で向き合っていましたか。

川床 正直、お芝居のレッスンも部活のような感覚があったんですが、そんな気持ちでいたら怒られるような環境でした。一緒にレッスンを受けている子たちをライバルだと思いなさいと。ただ『ニコラ』のほうが目に見えて結果が分かるので、ニコラモデル同士のほうが仲は良かったんですが、ライバル意識も強かったです。

――ニコラモデルとしては2018年5月から2019年3月の卒業まで、初代ニコラ生徒会長を務めました。

川床 編集部の方に任命していただいたんですが、みんなのまとめ役のような感じでした。

――どういう役割を担うんですか?

川床 全員で撮影があるときは二十人以上が集まるので、「並んでくださ~い」と声をかけたりとか(笑)。編集部の方から「最近、ニコラのモデルの子たちはこういうことができていないと思うんだけど言ってもらえない?」と頼まれることもありました。その経験があったおかげで、基本的な礼儀を学ぶことができました。本当に学校のような環境でしたね。