HKT48結成当時は一人だけスタートラインが遅れている感覚があった

――アイドルをやってみようと思ったきっかけから教えてください。

兒玉遥(以下、兒玉) 小さい頃から芸能界に憧れがあって、歌手でも女優でも何でもよかったんですがやってみたい気持ちがあったんです。でも福岡でと考えると、あまり活動の幅がなくて。ところが、私が中学3年生のときに、同級生のお姉ちゃんが地元でご当地アイドルになったんです。それで福岡でもアイドルをやれるんだ、私もやってみたいなと思っていたタイミングで、ちょうど「福岡にAKB48の姉妹グループができる」という情報をキャッチして。これは受けるしかないと思って、HKT48のオーディションを受けたら合格しました。

――人前に出るのは好きなほうだったんですか。

兒玉 大好きでした。ちっちゃい頃からお遊戯会などがあったら「絶対に主役やりたいです!」と手を挙げていましたし、生徒会も積極的に参加していました。

――HKT48での活動を始めてみていかがでしたか。

兒玉 それまで女子バスケ部に入っていたので、ハードな練習には慣れていると思っていたんですが、それ以上に大変で。第1期生メンバーはダンス経験者が多かったんですが、私は初心者で基礎ができてないから踊れない。一人だけスタートラインが遅れている感覚があってつらかったです。

――でもデビュー初年度からセンターポジションで、翌年にはAKB48の 26thシングル「真夏のSounds good !」で、HKT48メンバーとして初めて選抜メンバーに選ばれました。

兒玉 なんで実力が伴っていないのに、センターなんだろうと戸惑いましたが、もともと負けず嫌いな性格なので、誰よりも目立って有名になりたい気持ちは強かったです。

――ダンスの苦手意識は、いつぐらいに払拭できたんですか。

兒玉 正直パフォーマンスに関しては、ずっと満足できなかったです。「選抜に選ばれているんだからいいじゃん」とは思えなかったんですよね。もっと楽しめたら良かったんでしょうけど、責任感もありますし、10代なりにすごくプレッシャーを感じていました。

――アイドル時代の経験がお芝居に活きている部分はありますか。

兒玉 いただいた指示に、すぐ対応できるほうだと思うんですが、それはアイドル時代に培われた臨機応変さなのかなと思います。

――兒玉さんは2016年の「AKB48 45thシングル選抜総選挙」で自信最高位となる9位になり、同年7月27日にはファースト写真集『ロックオン』を発売します。傍から見ると順風満帆でしたが、翌年の2017年に体調不良で活動休止を余儀なくされ、後に原因がうつ病であることを告白します。その時期に臨床心理カウンセラーの資格を取得したそうですね。

兒玉 うつ病で休んでいたときに、次どうするかという期間が2年半ぐらいあったんです。お仕事を休職している間、自分のように精神を病んでしまった人を助ける仕事に就きたいなと思って、臨床心理カウンセラーの資格を取りました。その時点で勉強できるぐらいに回復はしていたんですが、資格を取ることで、より自分のことも客観的に対処できるんじゃないかなという思いもありました。

――その他にもヨガ・ピラティスインストラクターや温泉ソムリエの資格も所有しています。

兒玉 どの資格も将来の保険みたいな気持ちで取ったんです。もちろん女優業を全力で頑張りたいけど、特殊な業界なので先が分からないんですよね。そう考えたときに、何にでもなれるようにしておこうと思って、資格を取ることで心の安定を得られるようになりました。「これもできるし、あれもできるし」と思えることで、より女優業も頑張れたんですよね。昔から勉強が好きで、自分のやりたいことを、やれるところまで試したい性格というのもあります。