2人にあったGLIM SPANKY以前の音楽歴“ギターを弾きはじめて半年”で亀本が加入

――GLIM SPANKYでの活動をはじめる以前の音楽歴も、それぞれ伺いたいです。

亀本 僕はよく、テレビで流れていたJ-POPを当たり前に聴いていました。小学校から中学校にかけては、よくCDショップに通っていて、世代としては、例えば、森山直太朗さんの「さくら(独唱)」とか、アニメ『あたしんち』の主題歌だったキンモクセイさんの「さらば」とかが好きだったのを覚えています。ギターを弾きはじめたのは高校時代でした。

――そのきっかけは?

亀本 GLAYさんに憧れたんです。高校時代、3年間ずっと好きで聴いていたアルバムがGLAYさんの『LOVE IS BEAUTIFUL』だったほど憧れの存在で「聴くだけではなく、弾きたい」と思ったのが、高校1年生の春休みでした。すでに結成されていた高校生バンド時代のGLIM SPANKYに入ったのは高校2年生の秋だったので、そこから約半年後でした。当時はプロになれると思っていなくて、期間も短かったし「バンドを続けられるかな」程度のモチベーションでしたね(笑)。

――(笑)。松尾さんの音楽歴は、いかがでしょうか?

松尾 実家の音楽環境がちょっと特殊で、親がレコードマニアだったんです。家の中では常に音楽が流れていたし、1〜2歳の頃のホームビデオに映っていた自分を見ると、後ろではっぴいえんど(細野晴臣、松本隆、大瀧詠一、鈴木茂によるロックバンド)さんの曲が流れていましたね。保育園時代には渋谷系ブームが来て、親にDJの友人がいた影響もあり、ピチカート・ファイヴさんの「東京は夜の7時」を口ずさむような子でした。

――ある種、音楽好きな方にとっての“英才教育”をほどこされているような。

松尾 そうかもしれません(笑)。小学校に入ると、the brilliant greenを聴くようになりましたね。親の影響もあって「Oasisっぽい」と思ったのが好きになったきっかけで、中学時代には、ザ・ホワイト・ストライプスのジャックのギターと、メグのドラムに惚れ込むんです。そこからロックをたどり、中学2年生でブルース好きなおじさんにギターを借りて、人生で初めて弾いた曲は、ジョン・レノンの「ハッピー・クリスマス」でした。その後、ライブハウスで歌うようになったんです。

――怒涛のような音楽歴で…。そして、高校時代にはいよいよ、GLIM SPANKYを結成されたと。

松尾 はい。高校に入学してすぐ、文化祭のために作ったんです。亀が入ったのは、それから半年ほどあとでしたね。

亀本 ギターを練習して、ある程度弾けるようになったので「バンドをやりたい」と思っていた時期にちょうど、同じバイト先にいた当時のGLIM SPANKYでベースをやっていた先輩から誘われたんです。「入っていいよ」と言われたので「じゃあ、入ります」と、快く受け入れました。

松尾 バンドを作ったのは私なのに、私に許可を取っていなかったんですよ(笑)。じつは、亀を誘ったあとにその先輩から「バイト先にギターを弾ける人がいるので、入れていい?」と事後相談が来て、一度は「勝手に言われても困ります。ギターは私がいるので」と断ったんです。それでも食い下がってきたので、スタジオに亀を呼んで弾いてもらったら「いいぞ」と直感したので、入ってもらうことにしました。