拓也という人物を通して渡邉崇監督と向き合っていた

――渡邉崇監督の印象はいかがだったでしょうか?

前原 脚本も渡邉監督が書かれていますが、事前にたくさん話し合いをしてくださったんです。僕は日頃から、脚本家さんが書いた言葉に俳優側から物申すことをしたくないなと思っていて。もちろん現場で生まれた言葉が良いときもあるけど、プロが書く言葉がベースにあることは変わりません。ただ今回は事前に「脚本のことでも気になることがあったら言ってほしいし、一緒に作っていきたい」という言葉をいただいて。それも1個のチャレンジかなと思って、お互いに時間をかけて、ディスカッションをさせていただきました。

――お二人とも忌憚なく意見を言い合ったんですか?

前原 そこはお互いに腹黒いところもあって(笑)。言いたいことを言い合いながらも、穏やかに話し合いは進んでいったんですが、心の中で探り合っている部分もあって。だから完成した作品を観て、渡邉監督はこういうことを考えていたんだと気付くことも多かったんです。渡邉監督も現場で僕の考えに気付くこともあったでしょうし、お互いに似ているんですよね。ただ準備段階で、ある程度は言葉を尽くして話し合ったので、現場で意見を交わすことは少なかったんですが、それはネガティブなことではなくて。拓也は渡邉監督にも似ているところがあるんですが、拓也という人物を通して、お互いに向き合っていたと思います。

――拓也はテレビの構成作家から、念願だった脚本家デビューを果たしますが、前原さんにとって脚本家はどういう存在ですか。

前原 真逆の職業と言ったら極端かもしれないですし、一つの作品を作るという意味では一緒だと思うんですが、俳優とは全く違う作業をしているなと感じていて。俳優は1という数字を2や3、時には100にしていく仕事だと思っているんです。ある素材を、どう調理していくか、どういうふうに仕上げていくか。それは録音、照明、撮影など、スタッフさんにも共通しています。でも脚本を書くって、ゼロをどう1に持っていくかの作業だと思うんですよね。だから脚本家さんが、どういうことを考えて執筆しているのか謎です。

――拓也を通して、脚本家の葛藤などを理解できたところもありましたか?

前原 俳優も台本を渡されて、「どう演じますか?」と問われたときに、それこそありきたりな言葉が出てきてしまうんですよね。それをどうやって、そうじゃないものにしていくのかが重要で。すでに膨大な映像作品がありますし、あらゆることがやり尽くされているから、絶対にどこかで見たことがあるものになってしまうのは避けられない。でも自分なりに考えて答えを導かなければいけないという悩みを、脚本を書いているときの拓也に変換して演じたところがあります。その過程で脚本家さんも俳優と同じような悩みを持っているんだなと思いました。

――拓也は不用意な言葉も多いですよね。

前原 僕自身、そのときの雰囲気で喋っちゃうというか。そんなつもりはなかったのに、相手に上手く伝わらず「こんなこと言わなきゃよかった」と後悔することが多いので、そういう意味でも拓也に似ていると思います。