グループ卒業で新幹線に乗る機会が減り痛感「新潟と東京って意外と距離があるんだな」

――本間さんが、NGT48を卒業したのは2024年4月でした。早いもので、まもなく1年が経ちます。

本間 卒業後も後輩や同期の卒業公演とか、NGT48劇場を見に行く機会はあるんです。みんなのパフォーマンスを見ると「何曲もこんなに連続で踊るのは、もうできないかもしれない」と思って、かつては当たり前だったものが、まったく違って見えるのは新鮮です。10代は故郷の新潟から仕事のたびに東京へ向かい、20歳を過ぎてからは住まいだけ東京に移して、グループ卒業後は芸能活動の拠点も東京に移したので、俳優のお仕事へ集中する決心を新たに固めました。

――仕事とプライベートの両面で東京が中心となって、生活の変化も味わっていますか?

本間 グループ卒業後、新幹線に乗る回数が変わりました。在籍当時は週に2往復、3往復が当たり前だったんです。でも、乗る機会が減ってしまったのがちょっと寂しく「新潟と東京って意外と距離があるんだな」と痛感しました。

――故郷に帰ったとき、欠かさない習慣もあるんでしょうか?

本間 ラーメン屋さんを巡ります。新潟は全国的にもラーメンの年間消費量が多いそうで、私もラーメンが大好きなんです。新潟駅周辺にも続々とラーメン屋さんがオープンしていて、仕事帰りに立ち寄ることも増えました。新店の開拓も楽しみで、帰省のたびに「今日はどこにしようかな」とワクワクしながら歩き、ラーメンを食べてから東京に戻るのが定番になっています。

――そんな故郷で活躍を見守るご家族について、前作にあたる2nd写真集「陽射し色」や自身のインスタグラムでは、実弟が指定難病「プラダーウィリ症候群」を抱えていると明かして、ネットニュースでも話題を集めていました。

本間 公表後はありがたいことに、私と同じ境遇の方からもメッセージをいただきました。ニュースから私を知ってくださった方もいて、自分と弟の関係を文章にするのはひとつの目標でしたし、達成と共に温かいメッセージが届くようになって、私も元気をいただきました。

――先の2nd写真集は「弟のことと自分の気持ちを本にしたい」という本間さんの思いが出発点で、当初はエッセイの予定で、フォトエッセイ、写真集と形を変えて、企画が実現したそうですね。

本間 芸能界へ進みたいと思ったのも、弟の存在が大きかったんです。アイドル時代から、どこかで弟について「形に残したい」と思っていて、2nd写真集の出版後に両親からも「日陽らしく、素敵な1冊になったね」と温かい言葉をもらえてよかったです。