ファッションディレクターとして「誰かに任せる」ではなくすべて自分で意思決定を

――現在は「ファッションディレクター」としての活動が中心ですが、どのようなお仕事なのでしょうか?

勝田 ブランドによって、役割は様々だと思うんです。私の場合は、すべての工程に関わっています。服のデザインやイメージカット撮影全般のディレクション、モデルさんのキャスティング、カメラマンさんやロケーションの選定にも関わって、ポップアップストアでは開催地をチームで相談しながら、お客さまのお声も参考に選び、空間の演出も考えて。チームスタッフと一緒に運営するSNSも管理していますし「ここは分からないから、誰かに任せる」はなく、自分で意思決定しながらブランドを作っています。

――アパレルブランドはシーズンごとにアイテムを準備するなど、年間のスケジュールが緻密な印象もあります。

勝田 アパレル業界の変化は激しくて、ブランドによっては春夏秋冬の4シーズンで展開するブランドもあれば、毎月新作を出すブランドもあるんです。PoFFでは、春夏と秋冬の2シーズンに分けて展開しています。春夏に向けて展開するのは2〜7月頃、秋冬は8〜2月頃までとざっくり決めていて、期間中にポップアップストアを開催したり、ECサイトでのキャンペーンを企画したり、イベントを展開しながら進めています。

――2021年4月のブランド立ち上げから、まもなく4年が経過します。これまでの歩みを振り返って、いかがでしょう?

勝田 振り返ると「立ち上げ当時の苦労をどうやって乗りこえてきたんだろう?」と、不思議に思います。当初から「誰かに任せる」という感覚はなく、自分で意思決定しながらブランドを育てたかったし、手探りの状態で走り続けてきたんです。アパレル業界では珍しく、出版社発のブランドとしてスタートしたので、固定観念にとらわれない自由度があったぶん、難しさもあって。チームスタッフ全員で試行錯誤ながら一歩ずつ進んできて、今があります。

――その礎では、古巣のアンジュルムで活躍していた時代、アイドルと学業の両立を図った「文化学園大学 短期大学部 ファッション学科」での経験も生きているのかと思います。

勝田 ハロプロエッグ(現・ハロプロ研修生)への加入が小学5年生、スマイレージ(アンジュルムの改称前)でのデビューは中学1年生で、ハロー!プロジェクトのメンバーとして歌とダンスの経験しかなかったので、将来を考える余裕がなかったんです。でも、高校3年生で20歳が目前に迫ってきたとき、ふと「この先、自分はどうなるんだろう?」と思って。大学へ進学している先輩もいたし、ずっと好きだったファッションを「専門的に学びたい」という気持ちと向き合い、進学を決めました。服飾系の学校は忙しいとは聞いていたので「この環境でやってみて、自分が本当にファッションの仕事をやりたいか」と試す気持ちで入学して、入学後は「想像以上にハードな学科に入ってしまった」という思いもあったんです(笑)。2017年4月の入学後、アンジュルムの活動と両立する2年間は、2〜3時間寝られたらいいほどの生活でしたけど、それでも辞めたいと思わなかったので「自分はファッションが好きなんだ」と、改めて実感して。先生に「仕事と学業の両立は大変だし、留年も仕方ない」と言われても、同級生と一緒に「絶対、2年間で卒業する」と決めていたので頑張って、在学中に「大学卒業と併せて、グループも卒業して。将来はブランドを立ち上げよう」と進路を決めました。

――そうして立ち上げたブランドでは「強さを纏(まと)う女性」、そして、「真っ直ぐで芯のある、ブレない心」
をコンセプトに掲げています。

勝田 私にしか作れないブランドにしたかったし「過去の自分」と「こうありたい自分」をかけ合わせて、コンセプトを決めました。私のいたアンジュルムには、強さをまとう女性たちのイメージがあって、曲や衣装でもそれが表れていたんです。でも、強さといっても「気の強さ」だけではなく「人の優しさ」も強さだと考えて、ブランド名ではフランス語「Porter」(まとう)の2文字と、「Force」(強さ)「Femme」(女性)の頭文字を取りました。でも、理想の強さは人それぞれですし「自分にとっての強さとは何だろう?」と、アイテムを手にとってくださる方々に考えていただけるようなブランドに育ってほしいと思っています。