音楽にのめり込んでいたのが仕事の原点に「もう一度同じ人生を歩めるかと言ったらたぶん無理」

――7月19日には、GRIT at Shibuyaでテクノユニット・HONDALADYとの対バンが控えています。

RAM RIDER  HONDALADYはデビュー前からの仲間なのですが、一緒に対バンはしたことがなくて。デビュー20周年ライブが終わった頃から「来年はツーマンをやりたい」と思いはじめて、HONDALADYにお声がけしました。メンバーのマルくんもDieちゃんも古くからの関係値がありましたし、ツーマンだけではなく、一緒に曲もつくりました。HONDALADYに限らず、2025年以降は、経験のなかったツーマンにも力を注いでいきたいです。

――デビュー20周年ライブがなければ、ツーマンの新展開も生まれていなかったんでしょうか。

RAM RIDER そうですね。デビューから20年も経つと、自分が凝り固まってしまうのもあります。アーティスト活動も、楽曲提供やプロデュース活動も両立していこうとは思っていますが、外仕事が忙しくなると自分のことが後回しになってしまう。だからこそ定期的に誰かと共演したり一緒に作品をつくっていくことで、両立できるかなと思いました。幸いにも、HONDALADYのように長く付き合いのある音楽仲間もたくさんいますし、たくさんのアーティストと協力してステージをつくっていきたいです。支えてくれるチームに着いた火を消さないようにしたいのもありますね。

――火を消さないように、というのは?

RAM RIDER デビュー20周年ライブを境にして、周りのスタッフが「これやりましょう」と提案してくれることが増えたんです。僕からも自分を追い込むためにも「これがやりたい」と提案を返したり。直前になってしんどくなって後悔することもあるんですけど。でも、積極的に動いてくれる頼もしい仲間がいますし、音楽提供やプロデュースもしっかりこなしつつ、チャレンジしていきたいですね。

――周年ということもあり、今回はRAM RIDERさんのキャリアも伺いたいと思います。RAM RIDERさんの原点となった音楽は何でしたか?

RAM RIDER 父が持っていたYMO(YELLOW MAGIC ORCHESTRA)のアルバムで、それが僕の電子音楽のルーツになります。小学2年生の頃にはTM NETWORKと出会い、小室哲哉さんがステージ上にキーボードやコンピューターを並べていた姿に心を打たれて、お年玉で「MSX」を買いました。以降、夢中になってプログラミングを覚え、音楽を作るようなりました。中学生の頃には親に頼み込んでピアノも習いはじめました。大きな転機となったのは高校時代で、16歳のときにインターネットと出会い、同時にDJの楽しさに目覚めました。

――高校時代にDJに出会ったんですね。

RAM RIDER 当時のクラブは日本語の曲がほとんどかからなかったので、自分なりにJ-POPの曲をリミックスして流していました。それをアナログにプレスしてレコード店に置いてもらうようになって。そこでavexの方と知り合うことになり、それが今の道に進むきっかけになりました。当時、ヒットを連発していた浜崎あゆみさんのアカペラを渡されて「なんでもいいから、リミックスしてみてよ」と言われたんです。そこで制作したリミックスが採用され、プロとして音楽を提供する仕事に関わるようになりました。

――プロとしての原点というわけですね。当時すでに自主レーベル「401」は立ち上げていて、RAM RIDERとしての活動も始まっていたのでしょうか。

RAM RIDER 「401」はここ5年ぐらいですね。当初は別名義で活動していましたが、パロディっぽいネーミングだったので、プロとしての活動を続けるにあたり「RAM RIDER」に変えたんです。RAMはPCの記憶媒体、RIDERはバイクの免許を取るために教習所へ通っていたのでそこからとりました(笑)。あとは、SF映画『トロン』への憧れもあったし、ずっと好きで聴いていたCorneliusのようにソロなのにバンドやプロジェクトっぽい名前の人も増えてきた時期で。

――いわゆるコンポーザーやアレンジャーとして楽曲を手がけていたと思いますが、みずから歌うアーティスト活動をはじめた原点はなんでしょうか。

RAM RIDER avexの方にリミックスの仕上がりを認めてもらえて、他のアーティストの曲にも楽曲提供するようになったのがきっかけです。リミックスは楽曲を作って納品したらそこで終わりなので、何か別の形でも音楽活動をしたかったんです。他のアーティストへの楽曲提供の時に仮歌を入れる機会もあって、歌が上手いとは思っていなかったですが、提供する方のテイストに合うように調整した音源を出したら「この質感で歌えるのなら、自分でもやってもいいんじゃない?」とすすめられて、自分用に書いた曲でライブをはじめたのが2002年頃でした。

――その後、2005年6月に『ユメデアエルヨ』でavexのレーベル「rhythm zone」からメジャーデビューしました。音楽界では、意地でも「この世界で食ってやる」といった相応の覚悟で活動されている方もいる印象ですが、RAM RIDERさんの場合は、音楽にのめり込んでいたら「気が付けば仕事になっていた」という印象も受けます。

RAM RIDER そうかもしれません。特に戦略を立てていたわけではなかったし、もう一度同じ人生を歩めるかと言ったらたぶん無理だと思いますね。誰かに頼まれたことは例えそれが未経験な分野でも、とりあえず「やらせてください!できます!」と言い続けてきました。引き受けたあとでつらすぎて後悔したお仕事も中にはありましたが、そういった作品や現場が自分の経験値を押し上げてくれたと思います。今になって思えば「やってよかった」と感じる仕事しかないですね。