声変わりの期間は歌が好きではなくなった

――キャリアについてお伺いします。この世界に入った経緯を教えてください。

今牧 3歳から地元のキッズダンススクールに通っていたんですが、小学6年生の時に、一緒にダンスチームをやっていた女の子がミュージカル『アニー』にダンスキッズで出て、いいなと思ったんです。僕は昔から学芸会など、人前で何かをするのが大好きでしたからね。そんな時に、母から「劇団四季の『ライオンキング』のオーディションがあるから受けてみれば」と言われて、試しに受けてみたんです。それまで歌もお芝居も未経験だったんですが、かなりいいところまで進んだんです。

――それはすごい!

今牧 最終的に受かったのはお芝居の経験がある子だったので、悔しさよりも、キャリアのない自分が最後まで残ったということは、本格的に頑張れば無双できるんじゃないかと思ったんですよね(笑)。12歳にして、めちゃめちゃポジティブでした。

――ダンス経験が活きたところもあったのでしょうか。

今牧 チームでダンスコンテストに出ていたので人前に立つことには慣れていました。お芝居を抜きにして、ちゃんとステージに立ったことを初舞台とするなら、僕は3歳でダンススクールの発表会に参加したんです。その時の映像が残っているんですが、僕は端っこにいて、まともに踊れていないくせに、ビデオカメラを見つけて手を振っていました(笑)。

――生まれつき舞台度胸があったんですね。

今牧 そうかもしれないですね。それで『ライオンキング』のオーディションに落ちたことで自分の中のスイッチが入って、ミュージカルスクールに通い始めました。そこからミュージカルの子役を4、5年やって経験を積み、『新テニミュ』のオーディションを受けて越前リョーマ役に選んでいただきました。

――ご家族もエンターテインメントの世界がお好きだったんですか。

今牧 好きですね。祖母と母は劇団四季が大好きで、僕も小さい時に何度か一緒に連れて行ってもらいました。あと父がカラオケ好きで、今でも鮮明に覚えているのが、僕が小学生の時に、仲の良い他の家族とカラオケに行ったんです。その時に父が嵐さんの「Love so sweet」を熱唱しているのを見て、あまりに恥ずかし過ぎて「やめて」と叫びそうになりました(笑)。

――もともと今牧さんも歌は得意だったんですか。

今牧 苦手ではなかったです。自分で言うのもおこがましいですが、子役の時は「歌が上手い今牧輝琉」みたいなポジションでした(笑)。ただ声変わりしてからが大変でした。

――声変わりはいつ頃でしたか。

今牧 本格的に代わり始めたのは高校1年生くらいで、大体の男の子と比べて遅く始まったと思います。声変わりが始まるまではボーイソプラノをやっていたくらい声が高かったので余計に大変で、声が安定したのは実は最近なんです。自分のインスタライブのアーカイブを見返すと、1年前と今の自分の声では、今のほうが低いんです。これから、もっと深みが出てくるといいんですが……。

――声変わり中は普通に声を出せたんですか。

今牧 自分が出したい音程は出せなかったです。僕は絶対音感を持っているので、余計に自分でも外しているのが分かるんです。正しい発声をしても安定しないし、そのせいで一時期は歌が好きじゃなくなってしまいました。

――ご自身でも、今の声になるのは想定外ですよね。

今牧 全く想像できなかったです。まさか綺麗なソプラノから、こんな低い声になるとは……。声変わり中の公演で叫び過ぎたがゆえに今のハスキーな声になったのかなって。ただ「声が好き」と言ってもらえることも多いので感謝しています。