演出の石丸さち子さんは、役者の心の内に起こったことが分かる

――舞台『キオスク』のオファーがあった時のお気持ちはいかがでしたか。

一色洋平(以下、一色) 19年にリーディング公演で末澤誠也さん、21年に原作者のローベルト・ゼーターラー本人による戯曲版で林翔太さんが主演のフランツ役で、今回と同じく石丸さち子さん演出で上演されていること自体は知っていたんです。いざ自分にフランツ役が来て、初めて原作を手に取った時に、扱っている題材も含めて、高いハードルになるだろうなとひしひしと感じました。戯曲版を読んで、また違った印象は受けたものの、高いハードルというのは変わらなかったです。ただ稽古を重ねていくうちに、自分なりのフランツが見えてきました。車にたとえるなら、まだガタガタ言うんですけど、少しずつ乗りこなそうとしている感じです。

――時代背景も含めて、今の時代に通じるものがあるストーリーです。

一色 今現在も戦時中の国が存在する限り、この話は決して遠い物語にはならないだろうなと思います。ホロコーストやナチスドイツという言葉を初めて聞いたのは学校の歴史の授業でしたが、人間が人間に対してとんでもないことを行っていた時代が、たった90年くらい前にあったという事実を、そこまで腑に落とすことはなかったんです。でも『キオスク』に取りかかるにあたって、いろんな資料に目を通して、当時の体験記などを読んだら、百人いたら百通りのホロコーストがあるんです。しかも刊行当時はご存命の方もいて、インタビューを読んでいるとまざまざと伝わるものがありましたし、フランツもその中の一人だったと思うと、他人事とは思えなくなって。さち子さんも同じ見解なんですが、おそらくフランツはナチスドイツに殺害されてしまったと思うんです。17歳にして生き残れなかった側の人間で、ラストで彼はそれを予期している。生き残ろうとするのではなく、自分はこう生きたいと思った最終決断が、この結末だった。結果として殺されてしまったかもしれないけど、彼なりに生きたと僕は思っています。

――ホロコーストを直接的に描かず、そこに親子愛や恋愛などの要素を絡めているのが大きな特徴です。

一色 そこが憎いところで、最初から最後までホロコーストについて描かれている作品とは違って、恋愛に苦悩したり、周りのかっこいい大人たちに出会ったり、仕事を始めて自分でお金を稼ぐことに触れてみたり、前半は普通の青年が普通に思春期を過ごそうとしているんですよね。それが時代のせいで、そう過ごせなくなっていくというねじれが、なんとも痛ましいんです。

――フランツは17歳で純粋無垢な青年ですが、どんな第一印象でしたか。

一色 たとえ大自然の中で育ったとしても、こんなに純粋な17歳っているかなと思うくらい不思議でした。さち子さんから、「1本抜けている男の子で作ってほしい」と言われた時に、僕の中で参考になったのが、映画『ギルバート・グレイプ』(93)でレオナルド・ディカプリオが演じたアーニー・グレイプでした。アーニーほど重度の知的障害ではないけど、他の人と比べてほんの少し道がずれている。それについて劇中で言及するわけではないのですが、感性や考え方が車線1本分だけずれているところに、フランツは純粋に真っすぐ歩いているんだろうなという気がします。

――純粋な青年を演じることの難しさはないですか。

一色 一つの作品に関わると、何かヒントがないかと原作や台本を血眼になって読み、参考になりそうな映画を観たり、資料に目を通したりする過程で、役者として作品のことをよく知るわけです。ところが、よく知った状態でフランツを演じると考えすぎちゃうというか、フランツになれないという問題があるんです。フランツは何も知らないがゆえに、恋愛にしろ、仕事にしろ、時代のおかしさにしろ、ものすごい吸収力でごくごくと飲み込んでいく。だから、いざ舞台上に立ったら、知らないスイッチ、真っ白なスイッチに切り替えなければならないので、そこが難しいですね。僕がリアクションを先読みしちゃうと、「それは役者・一色洋平が出ちゃっているから、何も知らないニュートラルな状態に戻ろうね」と、何度もさち子さんに舵を切ってもらって、軌道修正をしています。

――すぐに、石丸さんは気づくんですね。

一色 さち子さんは、役者の心の内に起こったことが分かるんです。何から読み取ってくださっているのかは謎なんですが、指摘の通りだし、魔法なのかなと思います。稽古が初まった頃は、免許を取ったけど、乗る車が見つからなかった状態。でも稽古2巡目あたりで、乗る車が見つかった気がしていて。自分の運転が荒かったり、テクニックがなかったりして、ガタガタしたりするんですけど、乗る車が見つかった安心感はあります。ここから本番に向けて、良い運転をするのが次の課題かなと思っています。最近、自動車免許を取ったばかりなので、ついつい車でたとえてしまうんですが……(笑)。

――フランツと母が交わす手紙と絵ハガキが物語において重要なアイテムです。

一色 近くに母親がいたら、恋愛相談なんてできないけど、遠く離れているからこそできてしまう。手紙って自分をジャンプさせることができる面白いアイテムだなと思います。子どもは「つらい」と書いていないのに、親は「ちゃんと食べているの?」「元気なの?」と絶妙なタイミングで手紙をくれる。そういう要素が今回の作品にも入っていて、共感性の高いドラマです。手紙を通して親子が通じ合えているのかと思いきや、実は少しずつずれているのが手紙で判明する。たとえばユダヤ人に対する認識として、母は「ユダヤ人が悪いとは言わないが、今の時代的にお付き合いするのは気をつけなさいね」という考えの持ち主ですが、フランツは「僕はそうは思わないんだ。だってみんないい人じゃないか」と感じている。思い合っているからこそ、ずれていく様子が、繊細に綴られている。直接的にやり合うと激しく衝突すると思うんですが、手紙だからこそ緩やかにずれていくんですよね。