アイドルをしていたのに気が付けばプロレスラーだった

―― 最後の挑戦と思い受けたオーディションが、中野たむさんを中心としたスターダムのアイドルだったわけですね。著書では、アイドルをやっていたのに、だまされてレスラーになっていたとあります。

上谷 その頃は、1番にアイドルグループを成功させたいっていう気持ちだった。それしかなかったのでプロレスを頑張ったら、アイドル活動に関してプラスになると思い込んでいたよ。アイドルを成功させるためにプロレスの練習生も頑張っていたって感じだな。でも、デビューしたと同時にぐらいに、アイドルグループが解散になってしまったので、もうプロレスの道しか残されていなかった。だから、完全にプロレスラーとして頑張るという気持ちにはすぐには切り替わらなかった。

―― 当時、グループに加入された人たちの中で上谷さんが1番プロレスの知識がなかったとありますが、知らないからこそよかったこともありましたか?

上谷 あったと思う。周りの練習生ではプロレスが好きだったからこそ中に入り、理想と現実のギャップで嫌になってやめてしまったりなども多かったので。私は別に理想も何もなかった。いざ、入ってみたら「なんだこの世界は」みたいな感覚だった。プロレスに何も期待していなかったし、俯瞰して見られたので、逆によかったと思う。

―― プロレスは怪我もしますし、理不尽なこともある世界ですよね。逃げ出したいと思ったことはなかったですか?

上谷 なかったな。残されている道がもうプロレスしかなかったし、プロレスにかすかな希望の光を感じて続けていたのもある。意外と嫌なことや理不尽が原動力になるタイプなんだよな。「今に見とけよ、全部ひっくり返してやるからな」といった気持ちが自分の中にあったのかな、と思ったよ。オーディションを受けて、いっぱい落ちたけどあきらめないとか、何度でも立ち上がっていたのも、ひそかにあったプロレスラー気質だったのかもしれない。

―― アイドルとして目指していた日本武道館も、プロレスラーとしてわずか2年目で立たれるわけですよね。この2年目に太田プロも辞められてプロレスラーとしてやろうと決断されたわけですね。

上谷 太田プロを辞める時は、本当にこれで大丈夫かなという不安もあった。でも、プロレスは常に自分が想像してる以上のところに連れてってくれるっていう感覚があったので。私はプロレスしかないのかなって思えるタイミングがその都度あって、決断した感じだな。

――2023年には大きな怪我をして長期欠場しました。ご自身の誕生日にリングに復帰されたこのとき、怖さはなかったですか?

上谷  今後、自分がプロレスラーとしてどうなっていくんだろうみたいな恐怖はあった。その先が見えないというか。自分の代名詞の必殺技のフェニックス・スプラッシュは使わないと決めていたので。その技がなくなった自分って価値があるのかなとか、プロレスラーとして、今後、先が見えなくなった、そういった恐怖みたいなものはあったよ。

―― そんな折にサイン会ではファンの方に心無い言葉を投げられたいへん傷つかれた。

上谷 SNSでも言われるけど、それとは全然違ったな。生身の人間が自分に対して、そう思ってるんだって傷つくような言葉を言われることに関しては。自分も生身の人間なので恐怖感もあった。ずっと応援してくれていたのに、こんなにも変わってしまうんだなっていうのはすごい悲しかった。

―― 半生を振り返ってみると、様々なところで転向される決断をされていますね。上谷さんの軸となっているものはなんでしょうか。

上谷 軸は「常に挑戦してみる、自分の中で迷ったら一歩踏み出す」ことだ。迷っている時点で、自分の中ではちょっとでもやりたいっていう気持ちがあると思う。挑戦しないで後悔するなら、挑戦してみてダメだった方が後悔しないので。

――最後に、著書ではご家族、特にお母様との関係を赤裸々に語られています。今、家族のことで悩んでる人、子どもたちも多いと思います。

上谷 私が親って偉大だなと思ったのは一人暮らしを始めて、親元を離れてからだな。小さい頃から乗せてくれたレールがなくなり、自分で歩きはじめるときに、自分に愛をたくさん注いでくれてたんだなって、すごく感じた。一緒に暮らしていると、やっぱりうるさいなとか思っちゃうんだよ。でも、母っていうのは大切で特別な存在だと思うし、親がいてくれることって当たり前じゃないんだよって伝えたい。

Information

『アイドルで落ちこぼれだった私がプロレス界のセンターに立った話』
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公式サイト

上谷沙弥

1996年11月28日神奈川県出身。女子プロレスラー。EXILEサポートダンサーやバイトAKBなどで活動後、2019年にスターダムでプロレスデビュー。同年の新人王を獲得後、2021年のシンデレラ・トーナメントで初優勝。同年中野たむを破り初戴冠したワンダー王座は歴代最多防衛V15を記録。2024年夏、ヒールユニットH.A.T.Eに加入。その後団体最高峰のワールド王座を初戴冠。2025年は敗者引退マッチ、伝説の地上波生中継試合、TVのバラエティ番組などメディア出演多数。プロレスを世間に広めたことが評価され、女子プロレスラー史上初のプロレス大賞MVPを受賞した。

INTERVIEWER:DAISUKE MATSUBARA
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