撮影も編集も明らかに誘導するような作品にはしたくなかった

――2022年に監督・主演を務めた長編映画『夢半ば』公開のタイミングで取材をさせていただいた時に、「実は友達から家族を撮ってほしいと言われていて。いろいろある家族なんですけど、1年半ぐらいかけて撮影していこうと考えています」と仰っていましたが、それは今回の映画『ライフテープ』ですよね。

安楽涼(以下、安楽) ちょうど撮ろうとしていた時期です。『夢半ば』の公開中に撮り始めて、試行錯誤をしていました。

――資料には2022年10月16日に撮り始めたと書かれていますが、なぜ1年半という期間を考えていたのでしょうか。

安楽 特に期間を決めていたわけじゃなく、ドキュメンタリー映画を撮るのは初めてだったので、なんとなく時間はかかるんだろうなと。だから最低でも1、2年はやろうと思っていて、それ以降も撮影が続いても構わないかなと思っていました。

――25歳の時に、岡山に住むおばあちゃんと自分自身にカメラを向けた短編映画『弱者よ踊れ』を撮って、映画祭にも応募していたと仰っていましたよね。

安楽 ある意味、ドキュメンタリーといえばドキュメンタリーですが(笑)。当時はセルフドキュメンタリーみたいなものが少なくて、おばあちゃんの家に三脚とカメラを持って行って自分を撮ってみただけなんです。だから今回とは意識がまったく違いましたね。

――もともとドキュメンタリーを撮りたい気持ちはあったんですか。

安楽 今回の映画撮影が始まるまでは全くなかったです。

――前回の取材で、「毎日のようにドキュメンタリー映画を観ていて、中でもフレデリック・ワイズマンの『ボクシング・ジム』(10)が面白かった。この作品にはナレーションや、出演者と監督との会話が一切ないんです。そういう要素を排することで、ドキュメンタリーだけど劇映画に見えるんですよ。そもそも僕が撮りたいのは劇映画だから、友達に頼まれたドキュメンタリーも、そう撮りたいなと。そういうチャンスに恵まれたのはうれしいですし、今後につながっていけばいいなと思っています」と話していました。

安楽 覚えています。海外のドキュメンタリー映画はもちろん、佐藤真監督や小川紳介監督の作品を始め、日本のドキュメンタリー映画も集中的に観ていました。『ライフテープ』の編集中に佐藤真監督の特集上映があって、それにも通っていました。

――その影響は今回の映画にも出ていますか。

安楽 影響は確実にありますね。特にワイズマンのスタイルは理想的でしたし、僕にとってはゼロからのスタートだったので、あわよくば盗もうという気持ちもあって。でも、撮影中は集中してしまって、考えていたことの1割くらいしか意識はできなかったです。ただ、良かったと思った作品、これは嫌だと思った作品から得たものが自然と吸収されていたと思います。

――嫌だと感じた映画はどういうものでしょうか。

安楽 撮影も編集もそうなんですが、明らかに誘導するような作品は嫌で、自分の撮影では避けていましたし、痛ましいものもあまり好きではないです。もっと言うと、撮影対象をネタっぽく撮っているような映画は本当に苦手で。他人の人生を撮る時に、その考えはさすがに違うだろうと思う映画もありました。そういう映画は反面教師にもなりましたね。

――誘導するという意味では、原一男監督の作品はいかがでしたか。

安楽 難しいラインですね(笑)。映画に詳しい先輩から、「安楽は絶対に『全身小説家』(94)を観たほうがいい」と言われて観たんです。その時に面白いと思う頭と、ちょっと受け付けないなという頭との両方があって。『極私的エロス 恋歌1974』(74)や『ゆきゆきて、神軍』(87)なども観ましたが、とんでもないものを観たという感覚で、どちらかというと受け付けなかったんです。一方で学ぶところもあって、原一男監督は「カメラが気持ちよりも先に行っている」と感じます。その姿勢は、すごく刺さりました。劇映画のように、監督が先を読んで、先回りをするという手法はドキュメンタリーでも可能なんだと思いました。僕自身、たとえば『ライフテープ』の後半で、家族が散歩しているところに、先回りしてカメラを回すようになったのは、そこから吸収したものが大きいと思います。

――テレビのドキュメンタリーでありがちな、テロップやナレーションの多用で、これでもかと感動を煽るような演出とは意識的に距離を置いていましたか。

安楽 撮っていた期間に観ていた面白いドキュメンタリー映画は、総じてテロップに頼らないスタイルだったので、自然と自分もそうなりました。あと、最初に母親の朱香さんが、「『24時間テレビ』みたいな映画にはしないで」と言っていて。僕も中学生くらいまでは『24時間テレビ』のドキュメンタリーを観ていたので理解できるんですが、当時からあれが面白いという感覚が持てなかったんです。感動して泣くということもなかったですしね。

――お父さんの隆一さん、朱香さん、一人息子の珀久くん、家族全員がカメラを意識していないのがすごいなと思いました。

安楽 ワイズマンの映画に出てくる人たちって、カメラも撮影スタッフもいないものとして動くじゃないですか。そうやってカメラを完全に異物じゃないものとして扱えるかというと、絶対に無理なんですけど、そこを目指す気持ちはありました。実際、3人もカメラが回っていることに関しては意識せずに、自然に振る舞っていたと思うんですが、やっぱり自分は客人なんだな、友達だけど空気にはなれないなと実感することもありました。

――どういう時に実感したのでしょうか。

安楽 本編にも使っていますが、僕がいないところで、隆一にカメラを回してもらったんですが、その素材を確認したら、隆一も朱香さんも珀久も、僕が知らない顔をしていて、明らかに違うと思いました。珀久は僕がカメラを向けるとアイコンタクトをしてくれるんですが、そのアイコンタクトすらも、隆一への愛情の違いがすごすぎて。ありのままを撮っていたつもりでも、どんなに夫婦が素で話してくれていても、カメラが回っているという意識はどこかにあるんだろうなと。どう頑張ったってカメラは異物。どんなに素で話していても、撮られているという感覚は発生しているんでしょうね。

――スマホのカメラを回すことはありましたか。

安楽 なかったです。手元を見なくても操作できるくらい使い慣れているカメラをずっと回していました。一眼カメラで、スマホの画面よりも小さいモニターなので、試しに外付けモニターをつけてみたんです。そしたら一瞬で隆一に、「何それ?」と言われてしまって、すぐに外しました。