学校を卒業できたのは先生達のおかげ

――ここからはキャリアについてお聞きします。芸能界に入ったのはスカウトがきっかけですが、お芝居に興味はありましたか?

勝地 もともとテレビっ子で、映画も好きだったので芸能界への憧れはありました。たまたま運よくスカウトされて、この世界に入ることができましたが、親からは「本当にやりたくて、地方から出てきたような人に比べたらハングリー精神が足りないんじゃないか」と言われていました。「あなた達はこの世界の人じゃないから」と思いながら聞いていましたけど(笑)。

――もともと目立つことは好きなほうでしたか?

勝地 そうですね。小学校の学芸会で主役を演じたりしていました。

――当時は、どんなドラマや映画を観ていましたか?

勝地 野島伸司さんのドラマが好きでした。中でも「人間失格(人間・失格〜たとえばぼくが死んだら)」は、大好きなKinKi Kidsさんが出ていて、サイモン&ガーファンクルの音楽も良くて、カッコよさに痺れました。奥菜恵さん、永作博美さん、KinKi Kidsさんなど、野島伸司さんのドラマに出演している方々に憧れていましたし、今でも憧れです。

――事務所に入られてから、お芝居への意識は変わりましたか?

勝地 僕はラッキーで、デビューしてすぐに良い監督さんにお会いすることができたんです。「永遠の仔」というドラマで出会った、鶴橋(康夫)監督です。児童虐待を受けて児童養護施設で育った子ども達が、将来再会するという話で、僕は虐待を受けた主人公の子ども時代の役を演じました。監督は子どもの撮影に時間をかけてくださって、撮影前に景色を見ながら僕と(浅利)陽介、邑野未亜さんに向かって「君ならこんなことをされてどう思う?」と尋ね、子ども達に考えさせることで、「お芝居は、自分と比べてみたり、気持ちを考えること」だと教えてくださったんです。

――中学時代は仕事と学業の両立はどうしていましたか?

勝地 学校に行くのが億劫な日もあってぎりぎりの毎日でした。家にいると親に「学生なんだから、学校に行け」と怒られて、仕方なく学校に向かったけど、横道に逸れて知らない人の家の前で寝てしまったこともありました(笑)。ご厚意でその人の家で寝かせていただき、起きたら紅茶も出してもらって。「何で学校に行きたくないの?」と聞かれ「僕はこういう仕事をしているので、帰りが夜遅くなったりすることがあって、眠くて寝てしまったんです」みたいな話をしました(笑)。後々、その方から事務所宛に「成長してる姿をテレビで観れてうれしい」と書いたお手紙をいただきました (笑)。

――高校は芸能活動コース(現トレイトコース)もある堀越高校に進まれました。

勝地 堀越高校だったから卒業できたんだろうなと思います。単位が足りなくて、卒業後も4月いっぱいまで学校に通うことになりました。先生からは「何をしてもいいから席に座ってなさい」と言われて。ちょうどその時、蜷川さんの舞台「KITCHEN」の稽古の最中だったので、ずっと台本を読んでいました。先生達のおかげで卒業させてもらえただけで、学業と仕事の両立はまったくできていませんでした。

――部活や行事ごとにも参加していなかったのでしょうか?

勝地 そうですね。そういう経験をもっとしておけば良かったなと思います。

――堀越高校は芸能活動をされている方も多いので、刺激がありましたか?

勝地 僕がいた学年は芸能色が薄かったので、主に普通科の同級生と遊んでいました。友達に「次、どんな仕事をするの?」と聞かれて「蜷川さんの舞台」と答えても、蜷川幸雄さんどころか、劇場も知らないような人ばかりで(笑)。先輩からは「舞台は売れなくなった人がする仕事なんでしょう」とも言われました。「違いますよ」と言い返しましたが、悔しかったです。