舞台「FACTORY GIRLS~私が描く物語~」は再演すると思っていた

――6月にミュージカル「FACTORY GIRLS~私が描く物語~」が再演されます。

ソニン 2019年の初演の時から絶対再演したいと思っていましたし、するだろうと思っていたので、「よかった!叶った!」という気持ちです。

――本作は19世紀半ばのアメリカを舞台に、劣悪な環境の工場で機械のように働かされていた女性たちが自由を求めて闘い、世の中を動かしていく姿が描かれています。2019年読売演劇大賞優秀作品賞を受賞されましたが、演じていて手応えはありましたか?

ソニン 舞台を観た方に「こういうミュージカルはなかなかなかったよね」と言ってもらえるなど、想像以上に反響があったと聞いて、「ああよかった」と安堵しました。読売演劇大賞優秀作品賞をいただいた時は、手応えというより、こういう作品が認められたことの喜びが強かったです。日本のミュージカルは特に、恋愛を主軸にしているものが多いので、ロマンス要素がないとお客さんが入らないと言われることもありましたが、ロマンスよりも女性の仕事にフォーカスしたこの作品を面白いと思ってもらえたことで、演劇界に貢献することができたのではと感じました。ハイヒールの着用義務について抗議する#KuToo(クートゥー)運動が広がった時期だったので、時代の流れも影響したように思います。

――ソニンさんは、柚希礼音さん演じる主人公のサラ・バグリーと対立しながらも深い友情を結ぶ我慢強く聡明な女性編集者ハリエット・ファーリーを演じていらっしゃいます。初演ではどんなことを意識して演じられましたか?

ソニン リアリティーを追求するように意識していたと思います。この舞台は完全ドキュメンタリーではなく、フィクションの部分も含んでいます。実在したサラとハリエットの、二人の関係性については定かではないですが、⼥性達が⾃⾝の尊厳と労働環境の向上を求めて団結して闘い、世の中を動かした歴史のリアルを感じてもらえるように演じました。ハリエットは中間管理職で、上と下に挟まれストレスが溜まりやすいポジションにいます。自分の意見が言いづらい、説得力のないキャラクターになるのは嫌だったので、この人がいるから仕事ができるんだという存在意義をしっかり打ち出すことも意識しました。

――柚希さんとはこの舞台でご一緒する前からのお知り合いですか?

ソニン 事務所が一緒なので、ご挨拶はさせていただいていましたが、お仕事するのはこの舞台が初めてでした。

――柚希さんの印象はいかがでしたか?

ソニン すごく真面目で素直でフレンドリーな方で驚きました。「宝塚のトップスターの方だから、オーラに圧倒されて近寄りづらかったたらどうしよう」と勝手に思い込んでいましたので(笑)、実際にお会いしたら、すごく素直で可愛らしくて、真面目で、大好きになりました。太陽のような方でお会いするたびに、明るい気持ちになります。

――再演にはどういう気持ちで臨んでいますか?

ソニン 歌詞も脚本も、相談して少しずつ変えているので、もう一回同じものを演じる感覚はないです。役をどういう風に演じるかというのは、その後からついてくるものだと思っているので、より良いものを作るには、どういうところ改善していくべきかというクリエイター側の意識が強いですね。特にこの作品に関しては、自社制作であるということと、演出家の板垣(恭一)さんが積極的に話を聞いてくださる方というのもあって、積極的に意見を述べるようにしています。

――現場で自分の意見を伝えられるようになったのは、いつ頃からですか?

ソニン 舞台の経験を積んでからですね。もともと私はアイデアを出すのが好きだし、演じるのは私だから、演者の感性を大切にしていきたいと思っているので、思ったことは状況と時を見極めながらできるだけ言うようにしています。今回、演じているのは操られる人間の役ですが、役者としてはそうならないようにしています(笑)。

――経験と言えば、10年前にアメリカ・ニューヨークで演劇留学をされましたが、なぜそのタイミングを選ばれたのでしょうか?

ソニン ずっと行きたくて4、5年間くらい「行きたい」と言っていたんですが、「今じゃないんじゃない?」と周りに止められていて。人の意見を聞いていたら、いつまでたっても行けないと悟り、強行突破で文化庁新進芸術家海外研修制度に応募してニューヨークに行くことができました。舞台の仕事が決まっていたので、1年半という限られた期間でしたが。

――その間、ホームシックにならなかったですか?

ソニン 旅行に行くのと生活をするのでは全く違いますし、ニューヨークは東京の10倍くらいさまざまなことがクレイジーだから大変なこともありました。でも、日本に帰りたいと思った記憶はないですね。というか、この状態じゃ帰れないという意識が常にありました。