おはガール時代はスタジオと学校が近くて遅刻できなかった
――この仕事を始めたきっかけを教えてください。
小島 小学生の頃、住んでいた家の、近くにTSUTAYAがあって、よく父と一緒にDVDやビデオを借りに行ってたんです。そこでスカウトを受けたらしいんですけど、お父さんがあまり積極的じゃなくて、そのときはそれで終わりでした。でも小学校を卒業して中学に入る前のタイミングで、スカウトしてくれた方の名刺を私が掘り出してきて、中学生になるし、何か新しいことをやってみたいと思って入ることに決めました。
――もともと芸能界に興味はあったんですか。
小島 ありました。でも最初はお芝居をやろうとは全く考えていなくて、モデルさんに憧れて事務所に入りました。というのも、読者モデルをやっている子や、モデルのお仕事をやっているお母さんが身近にいて、そういう知識も多少あったので、興味があったんです。それで最初はファッションのお仕事がメインで、2007年4月からは『おはスタ』のおはガールを務めさせていただきました。まさか自分が朝の生放送に出ると思っていなかったので、最初は困惑しました。
――平日は毎日生放送で大変だったでしょうね。
小島 大変でした。私は収録スタジオと通っていた学校の距離が近かったんですよ。収録が終わってからでも授業に間に合う時間だったので、遅刻できないんですよね(笑)。それに、もともと朝からテンションが上がるタイプではなかったので、それも辛かったです。同期の前田希美ちゃんと長野せりなちゃんは、すごく明るくて、朝からテンションを上げるのも上手だったんです。それに今もそうなんですけど、カンペを読むのも苦手で、なかなか慣れなくて。私だけ、「もっと頑張ってテンション上げて」みたいなことを言われることが多かったです。でも、めげずに1年間やり遂げました。
――おはガールで知名度も飛躍的に上がったと思いますが、それ以外で良かったことは何ですか?
小島 毎日の生放送もそうですし、大きいイベントに出演する機会も多かったので、すごく度胸がつきました。それはお芝居にも活きていますね。
――お芝居を始めたきっかけは何だったのでしょうか。
小島 おはガールの活動が終わった直後の2008年4月に、ドラマ「キミ犯人じゃないよね?」で事務所の先輩・貫地谷しほりさんの妹役で俳優デビューしたんですけど、それまで演技レッスンの経験もなかったんです。現場で、しほりさんと、共演シーンの多かった要潤さんに学ばせていただくことも多かったです。その時期にドラマのオーディションも増えて、自然とお芝居の仕事が増えていきました。
――俳優デビュー当時、特に印象的だった作品は何でしょうか。
小島 2009年に出演したドラマ「小公女セイラ」です。ヒロインのセイラをいじめる優等生のお嬢様という役柄だったんですけど、出演シーンも長台詞も多いメインキャラクターを演じるのが初めてだったので、たくさん怒られましたけど、演じていて楽しかったです。いまだに、そのときの役名・真里亜で呼んでくれる方もいますし、共演した女の子に「小公女セイラ観てました」と言われることもあります。
――仕事と学校の両立はいかがでしたか。
小島 高校生のときに朝ドラの「カーネーション」に出演させていただいて、長期間、学校を休むこともあったんですけど、芸能コースのある高校に通っていたので、その辺の融通が利きましたし、それほど両立が大変だとは思わなかったですね。まあ私自身、あまり勉強をしてなかったというのもありますけど(笑)。