第一回の編集後記の担当はSTREAMの編集兼ライターのカネコシュウヘイさん。STREAMで編集を担当しながら、エンタメ系メディアやビジネス系メディアなど、幅広く活躍。STREAMでの編集業務を中心に活動を振り返ってもらった。
フリーランスのライターとして十数年、苦労もひとしおで「なぜ、この仕事を続けているのか」と自分に問う。僕自身はおそらく、仕事でしか得られない「1%のアドレナリン」を求めているのだろう。
飲み屋で「ライターです」と紹介すると「文章を書く仕事なんですね」とよく言われる。続いて「文章が上手なんですね」と返されもするが、文章力は絶対条件ではない。
日々の業務で文章を書くのは、作業全体のせいぜい1割程度だ。インタビューやライブレポートを中心に生計を立てる中では、6〜7割を取材準備に費やして、2〜3割が現場での取材。そこに、請求書作成などの事務作業も割り込んでくる。
実際、手を動かすのではなく、頭で何かをひねり出す時間も多い。編集者として企画を考え、アイデアを企画書へと落とし込み、相手先への取材依頼もかける。目に見えぬ疲労が溜まり、その場から逃げ出したくなるときも多々で、何も考えたくないとしてベッドに横たわり延々と目的なくYouTubeを眺めてしまう夜もある。
正直、しんどい…。そう、頭にちらつく日もあるが、記事が世に出る興奮は他の何ものにも代えがたい。苦労すればするほど、悩めば悩むほど反動は大きく、公開後の反響によっては“アドレナリン”がドバドバと湧き出てくる。
インタビューにしろライブレポートにしろ、そこに人がいるのは変わらない。アイドルの方々、アーティストの方々の芯に迫りたいとして、事前に徹底的なリサーチをして、練った質問案で核心に迫れるのはライターならではの醍醐味だ。
作業の多くは地味で目立たず、けっして華やかではない。外から明るく見えるのは、せいぜい全体のごくごく一部。苦労したからといっていい記事を作れるわけではなく、“ここにこう刺さるはず”として企画した記事が、ねらいとは裏腹にハネなかったときはひどく落ち込む。
特に、フリーランスは誰かに求められなければ、その役割をまっとうできなくなる。将来も見えず、1ヶ月後には自身の周囲に“何もなくなる”可能性を秘めているのもリアルだ。
それでも、人の機微を文字に残せるこの仕事を続けたい。自分のためではなく、誰かのために動くのは性に合っている。自身の思いをこう文字に残すのはこそばゆくもあるが、今改めて、はっきりと仕事の本質が見えてきた。