仲間と作り上げたフットボールパークが今年10周年

――実は、今回はMIFA Football Parkというフットボールパークで取材させていただいています。まずは改めて、MIFAについて、そして、MIFA Football Parkについて教えていただけますか。

GAKU-MC(以下、GAKU) MIFAは「Music Interact Football for All」の頭文字で、2012年に音楽とフットボールで皆さんともっと繋がっていきたいという思いで、僕とMr.Childrenの桜井和寿と、サッカー仲間たちとMIFAという団体を立ち上げました。それから、今後どういう方向に進めていこうかという話をした時に、桜井が「スタジアムじゃないですか?」みたいなことを言い出しまして(笑)。やっぱり、スタジアムでライブをやる人の発想は違いますよね。それで、スタジアムへの逆算をして、まずはフットサル場の運営をしよう。ということで、不動産屋を巡ったりしていく中で、ここ(豊洲)の土地と出会いまして、MIFA Football Parkというフットサル場を運営することになりました。通ってきた道のりは違いますけど、実は、僕と桜井はデビュー同期なんです。音楽のことは2人とも長くやってきたのでよく分かっているんですけど、フットサル場を運営するなんてことは当然やったことがないので、一緒にサッカーしている仲間達にも助けられながら、今日までやってこられたという感じですかね。今では、豊洲・仙台・立川・福岡の4つのコートを運営しています。

――そして、この豊洲のMIFA Football Parkが今年10周年ということなんですが、この10年間で、特に印象に残っているエピソードは何でしょうか?

GAKU やっぱり、直近のギネスですよね。9月14日に開催した10周年イベントの目玉企画として、「連続でフットサルのペナルティキックをした最多人数」のギネス世界記録の更新に挑戦したんです。結果から言うと、実は1回失敗してしまって…。それで、人数が足りなくなりそうだったんですけど、地域住民の方やサッカー仲間達が、近隣の住民の皆さんや隣のバーベキュー場や商業施設まで行って人を集めてきてくれて、「1049人」という公式記録を達成しました。それまでは何かやる時に言い出すのはいつも僕だったんですけど、今回はスタッフ発案の企画だったので、それも嬉しかったですし、仲間達にも助けられて本当に胸が熱くなる時間でした。

――そして、GAKUさんご自身は、今年ソロ活動25周年という節目に。改めて、この25年間、体感的にはどのように感じていますか?

GAKU 振り返れば長かったんですけど、一瞬たりとも余裕だと思えたことはなかったです。曲ができなくて苦しんだり、歌やラップがうまくできなくて悩んだりしたこともありますし、ライブのお客さんが満員にならないことだっていっぱいありました。力を込めて開催した野外イベントが雨でコケる…なんてこともありましたしね。でも、色々ありましたけど、歩みを止めずに続けてきて、今回のアルバムに辿り着けたことが何より嬉しかったです。

――今、すでに色々なエピソードを挙げていただきましたが、GAKUさんにとって一番のターニングポイントを挙げるとしたらいつでしょうか?

GAKU 実は、明らかにここだというタイミングがありまして、2006年5月31日です。これは、まだウカスカジーになる前のGAKU-MC / 桜井和寿 (Mr.Children) 名義で出したシングル「手を出すな!」の発売日です。この曲を出すことによって、僕のことを知らない人がたくさんこっちを向くだろうなと予想できましたし、絶対に売れると確信していました。それで、実際に売れたんですけど(笑)、車を買おうか、海外旅行もいいななんて思っていたんですけど、その時にギターを買ったんです。それまで弾いたことがなかったんですけど、何か自分の音楽に新しい光を照らしてくれるだろうなと思って始めました。最初はもちろんF(のコード)も弾けなかったので、ギター教室に行って一歩ずつやり始めました。そうこうしているうちに下手なりに、人前でも披露していくわけなんですけど、5年ぐらい経った時ですかね…、自分のラップが上手くなっていることに気が付いて、その日を境に自分のラップが変わり始めたんですよね。ここが僕の25年のソロ活動の中での一番の転換点だったと思っています。そこからは、色んなミュージシャンとの意思疎通がギターという楽器でできるようになりましたし、全部の曲を自分で書き始めるようにもなりました。音楽家としての翻訳機を手に入れたというか、そして、その翻訳機にはラップを上手くしてくれる機能がついていたという感じでしょうかね。今でもそのギターを使ってステージに立っています。